コロナ禍のアメリカと向き合ったフィラデルフィアでの3年間【前編】
2024年8月13日
家族/クロスカルチャー

コロナ禍のアメリカと向き合ったフィラデルフィアでの3年間【前編】

金融機関に勤務するヒロムと、レナの夫妻は、長男ケイジロウ、次男タイタロウ、長女マイコの3人と一緒にアメリカ東海岸のペンシルバニア州フィラデルフィアで3年間の駐在生活を経験した。時期は、2019年から2022年。ちょうど新型コロナウイルスが世界各地で猛威をふるっているタイミングだった。いずれも駐在ファミリーとして、幼少期に海外生活を経験していたヒロムとレナは、この難局をどう乗り越えたのか? また、子どもたちはどのように現地の仲間をつくっていったのか? コロナ禍という非日常のなかで、奮闘した3年間の海外駐在生活について、詳しく聞いた。(仮名)

(取材・執筆:丸茂健一)

両親はともに幼少期に海外生活を経験した

2020年初頭から世界をパニックに陥れた新型コロナウイルス。家族5人が期待していたアメリカ駐在生活は、歴史的パンデミックによって、予期しない方向に展開していくことになる。金融機関に勤務するヒロムに、フィラデルフィア赴任の辞令が下ったのは2019年の正月明けのこと。共に幼少期に海外生活を経験したことがあるヒロムとレナは、子どもたちに海外生活を経験させてあげられることを楽しみにしていた。

フィラデルフィアセンターシティにて。このときはパンデミックなんて想像していなかった
フィラデルフィアセンターシティにて。このときはパンデミックなんて想像していなかった

ヒロムは4歳から小学校5年生になる10歳までオーストラリアの日本人学校に通い、その後、小学校5年生から中学3年生まで、アフリカ南部モーリシャスの現地校で過ごした経験を持つ。モーリシャスはマダガスカルのさらに沖に浮かぶインド洋上の小さな島。ヒロムファミリーが駐在していた当時、現地にはインターナショナルスクールも日本語学校もなく、現地校に通うという選択肢しかなかったという。

 

一方、レナは0歳から2歳までをドイツで過ごし、その後、4歳から12歳までアメリカ・コロラド州デンバーとカリフォルニア州アーバインの現地校に通っていた。約8年間のアメリカ生活で、英語力はネイティブレベルになった。

 

「アメリカで英語を学んだ経験があったので、日本の教育環境で本格的な英語力を身につけることの難しさはよく理解していました。なので、アメリカ駐在が決まった時点では、子どもたちも自然な英語を身につけられると期待していました。また、私自身は英語力をある程度キープしていたので、現地生活に不安はまったくありませんでした。ただ、英語力という強みが、コロナ禍のアメリカではメリットにもデメリットにもなることになります。今回のエピソードは、幼少期に海外生活を経験した夫妻の駐在レポートとしても読んでいただきたいですね」(レナ)

 

ロンドンで1年間の駐在生活を経験

フィラデルフィアでの駐在生活に先立ち、夫妻はケイジロウが3歳になったばかりの2006年から2007年の1年間、イギリス・ロンドンでの海外駐在を経験している。現地でモンテッソーリ教育を行う幼稚園を見つけ、ケイジロウを通わせたところ、軽いカルチャーショックを受けることになる。  

 

「モンテッソーリ教育を行う教育機関は、基本的にしつけ(Discipline)に厳しいことで知られています。ケイジロウは当時3歳で、日本では大人しい子と言われていたのに、よくお仕置き部屋に行かされていました。英語が未熟だったせいもあると思いますが、そのギャップにカルチャーショックを受けましたね。イギリスには、日本以上にしつけに厳しい学校があることを知りました」(レナ)

 

イギリス駐在時、親子3人でスイスに3カ月ほど滞在したこともあった。現地では、レナが直接交渉して、長男をGymboree(ジンボリー/乳幼児教室)に通わせることに。スイスのGymboreeは、通常、週1・2回通う習い事の教室だが、1カ月のショート滞在だということを伝え、特別な会員枠をつくってもらい、毎日学校のように通えるようにしてもらった。レナが海外で培ったコミュニケーション力を活かしたエピソードだといえるだろう。

 

入学して半年で学校に通えなくなる異常事態

2007年に帰国して12年間、日本で生活をしていたところにフィラデルフィア駐在の話が持ち上がった。2019年春の出国時にケイジロウは高校1年生、タイタロウは小学校5年生、レナは小学校2年生だった。駐在期間は3年間。「できれば英語が苦手じゃない子になってほしい」と考えていたレナにとっては、絶好のタイミングでのアメリカ生活になるはずだった。

フィラデルフィアの動物園はアメリカで最初の動物園!
フィラデルフィアの動物園はアメリカで最初の動物園!

2019年4月にフィラデルフィアでの生活がスタートする。当時、高校2年生だったケイジロウは日本に残る選択をして、祖父母と一緒に暮らしながら小学校から通っていた私立の附属高校に通うことになった。一方、両親と一緒にアメリカに渡ったタイタロウとマイコは現地の小学校に通い始める。しかし、9月に入学して半年経つ頃には、新型コロナウイルスが蔓延し、学校に通えなくなってしまった。

 

「とにかく新型コロナウイルスの影響で、2020年春時点で学校の勉強はすべてストップになりました。ESLのフォローもないし、日本語の補習校にも通えない。子どもたちにとっては、かなり厳しい状況だったと思います。また、親としては、病気になったときにどこの病院ならしっかり対応してもらえるのかがわからない。幸い、英語ができたので、スーパーなどで困ることはありませんでしたが、逆に英語ができるばかりに現地在住者だと思われて、病院の窓口でわからないことを質問しても『あなたはわかってるでしょ?』という態度をされることも多くて少々困惑しましたね」(レナ)

 

英語ができるとはいえ、フィラデルフィアのことはまったくわからない。日本人コミュニティを頼りにするという考えもなかったレナは、私は日本人で、どういう背景の人間で、どうしてここにいるのかを事細かく説明して、現地の人々とコミュニケーションを取る必要があった。コロナ前は「なんでも聞いてね」とやさしかった隣人たちもコロナ禍に入り、他人の家族を気遣う余裕はなくなっていた。

 

「駐在員は会社の仲間がいるので、実は日常生活で心配ごとは少ない。働いているほうが、気が楽な面もあります。一方で家族のほうは組織に守られないなかで、現地に溶け込んでいくことになります。コロナ禍のような特殊な状況において、大変なことも多かったと思います」(ヒロム)

 

その後、学校はオンラインでは授業がスタートするものの、先生もZoomなどのツールに慣れておらず、子どもたちは授業にサインインできないような事態も……。スクールカウンセラーに相談しても英語ができない生徒は後回しにされることが多く、コロナ禍が始まってから半年くらいは、まともに授業が受けられない状態が続いたという。

 

また、日本で高校に通うはずだったケイジロウにもコロナ禍の影響が及んだ。祖父母と暮らしながら高校で対面授業を受けていたケイジロウだったが、祖父母を感染させてしまう恐れがあることから、両親は日本の高校を1年休学してアメリカに呼び寄せる決断をする。 

アイススケート場にて。コロナ禍でも屋外の活動は制限されていなかった
アイススケート場にて。コロナ禍でも屋外の活動は制限されていなかった

「結局、ケイジロウは高校2年次をアメリカで過ごしたものの、オンライン授業もまともに受けられなかったので、翌年日本に戻ることになりました。本人は大変な思いをしたと思いますが、コロナ禍において、自由な往き来もできないなか、家族が一緒にいられることは何より大事でした」(レナ)

 

コロナ禍の友達づくりはオンラインゲーム上で

子どもたちにとっての現地コミュニティとの貴重な接点になったのが習いごとだった。コロナ禍においても現地のスイミングスクールは、子どもたちを受け入れており、タイタロウは週5~6回、マイコは週4回通っていた。インドアスポーツがすべてキャンセルになったコロナ禍において、スイミングも例外ではなかった。そのため練習場は屋外のプールのみというかなり特殊な状況だったという。 

 

「たまたま通ったスイミングスクールが全米大会に出場する選手を輩出するような本格的なところで、コロナ禍ということもあり、通っている生徒はほぼ会話することなく淡々と泳いでいる状況でした。夏場はいいとして、冬場の-10°Cという環境下でもコロナ禍でインドアスポーツが禁止されていたため、屋外プールにヒーターを入れて練習していたのは、今思うと相当過酷でしたね(笑)」(タイタロウ)

市民プールの外のアイスクリームトラックにて。アメリカ人はアイスクリームトラックが大好き!
市民プールの外のアイスクリームトラックにて。アメリカ人はアイスクリームトラックが大好き!

 

そんなタイタロウが現地での友達づくりに活用したのが、オンラインゲームだった。現地校で知り合った友達とオンラインゲーム上で待ち合わせをして、会話のコツをつかんだという。また、現地の補習校でもオンラインゲームが人気だったので、こちらのネットワークもゲーム上で構築された。コロナ禍で外出もままならず、一時はゲーム三昧の生活だったが、これが最も友達づくりに役立ったという。

 

「マイコのほうは、外で遊べるような状況になってからは、公園で時間を決めて、友達と待ち合わせをして遊んでいました。コロナ禍に入ってから友達の誕生日会に呼ばれた際も会話するのはアウトドア限定で、食べ物もなしという状況でした。アメリカの誕生日会といえば、子どもたちの一大イベントなので、コロナ禍でもどうにか知惠を絞って集まっていたという感じでしたね」(レナ) 

映画『ロッキー』で主人公がトレーニングのために駆け上ったNational Museumの大階段の上にて
映画『ロッキー』で主人公がトレーニングのために駆け上ったNational Museumの大階段の上にて

 

 

後編では、複雑化する社会情勢のなかでたくましく柔軟に生活していく姿を追っていく(2024年9月9日公開予定)

 

 

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