作文
ほ習校の私と現地校の私
ポートランド補習授業校(アメリカ)
小6 飯田 麻衣
「お母さんは今、いらっしゃいますか。」
「いいえ、今いらっしゃいません。」
ほ習校で授業参観だった。その日は敬語を習っていて、私は電話の会話例を発表した。後ろにみんなの親が並んで私達を見ていた。あの一言を言ったすぐに、後ろからかすかな笑い声が聞こえた。その時、私は変な答えを言ったにちがいないと気が付いた。
「今、飯田さんはどこを間ちがえましたか。」
先生はだれかのお父さんに聞いた。
「お母さんは身内だから、いらっしゃいませんと言わず、いませんといわないといけません。」
お母さんは大人だから目上で、他人に言う時はていねいな言葉を使わないといけないと思ったのに。よりにもよって、こんな大勢の人の前で間ちがえてしまった。私は急にはずかしくなり、自分から進んで発表した事を後かいした。次に言う言葉がだんだん小さくなった。
私は、5才になってすぐにアメリカに来た。ふだんは英語でしゃべっている。英語では目上、目下、身内のはっきりした区別はない。だから、人によって言葉を使い分ける日本語は、とてもむずかしいと思う。私は後の残りの時間、しゅんとしていた。
私は、ほ習校では現地校とは全然ちがう人間だ。現地校のクラスでは、うるさい生徒で、どんどん自信を持って自分から先へ進む。よくクラスで答えや意見を発表する。しかし、ほ習校ではとても静かだ。その理由は、発表して間ちがったら、すぐに間ちがいを指てきされるからだ。
現地校では、そんな事は全然気にしない。アメリカの先生は、間ちがえても、それを指てきする前に、まずその答えのどこがよかったかを言ってくれる。いつも、「ナイストゥライ」と言ってくれる。「ここをちがうやり方でしてみたらどうなるかな。」とアドバイスやヒントをくれたり、「もう一度後で発表してごらん。」と、もう1回チャンスをくれる。ほ習校と現地校の教え方は、大きくちがうと思う。
ほめられると、その人は自信がもっと付き、発表をもっとし始めるし、どんどん自分から進むようになる。間ちがいを指てきされ続けると、少しずつ自信が消えて行き、発表をしなくなる。間ちがえるのがこわくて、いつも引っこんでしまう。
日本では、自信をなくした子供達が登校きょひをするようになったり、逆に、勉強ができる子は間ちがった子を笑ったりして、人を見下すようになり、いじめの問題が出てきていると聞いている。私は近いしょう来、日本へ帰国の予定だ。日本の学校は、やっぱり今日みたいな授業をするのかなあ。そう考えると、だんだん帰りたくなくなってしまう。
現地校ではたとえ間ちがえた答えを言っても、他の子は、その子の事は決して笑わない。笑うと、先生はおこった顔で、「ワイ・イズ・イッツ・ファニー?」と笑った子に聞き、しかる。
現地校の先生は、絶対に「わからない」は答えとは受け取ってくれない。間ちがってもいいので、自分の意見をはっきり言う事が大切なのだ。先生は、いつでも助けてくれる。そして、手をずっと上げていない子にも当てて、自信を付けるようにする。
現地校のクラスでは、余ゆうのある子が、困っている子を助けてあげる事がよくある。プロジェクトやプリントなど早く終わると、先生からよく、仕上げがおそい子を手伝ってとたのまれる。そのたびに、後で先生が「センキュー・フォア・ヘルピング、マイ。」と言ってくれるので、うれしくなる。日本でもみんな、クラスで困っている子を助けてあげているのかなあ。
なんだか、急に心配になった。日本に帰ってから、学校で、もし自信がない時に当てられたらどうしようかな。だまっていた方がいいのかな。それとも間ちがえてもいいから勇気を出して発表した方がいいのかな。
「ほ習校の私」と「現地校の私」。今、自分の中には、2人の私がいる。
授業参観会が終わって、帰りにお母さんが、
「ちゃんと発表してえらかったね。」
とほめてくれた。
「敬語は日本に帰ってから、実際に使うようになれば、すぐ覚えるよ。心配しなくても大じょう夫。」
私はほっとした。すっかりあのはずかしさはどこかへ消えてしまっていた。また自信がわいてきた。きっとまた、次のチャンスがあるから、この時もう1度ちょう戦してみよう。私はもうすっかり、「現地校の私」になっていた。