初めまして! 水島凛です。
神奈川県出身の19歳で、4歳から5年間アメリカのカリフォルニア州で過ごしました。小学3年生のときに帰国、公立の小学校を経て、慶應義塾湘南藤沢中等部に入学しました。現在は、ダブルディグリープログラムで慶應義塾大学経済学部とフランスのパリ政治学院(Sciences Po)に在籍しています。
私はJOESの「帰国生のための外国語保持教室」の元受講生で、フランスからの一時帰国の際にインターンとしてJOESに戻る機会をいただきました。今回、そのご縁からこの記事を書かせていただくことになりました。アメリカでの幼少期、帰国子女としての日本での生活、そして現在に至るまでの経緯などについてお話しします。
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英語ゼロでアメリカの現地校へ
4歳の時に父の転勤で、カリフォルニア州のサンノゼに家族3人で引っ越しました。英語が全く分からない状態で現地の幼稚園に通い始め、その後、現地の小学校に進みました。幼い頃から英語に囲まれた環境で過ごしたこともあり、英語学習に苦労した記憶はほとんどありません。学校のみんなと一緒にフォニックスを学んだり、曜日を覚えたり、音読をしたりしているうちに、気づいた頃には自然と英語を話せるようになっていました。とはいえ、親によると、最初の頃は日本人の子と日本語でばかり話していたため、校長室に呼ばれたこともあったそうです(笑)。また、幼いながらに「周りと同じじゃない」ことに戸惑うこともありました。ある日、母がお弁当にたらこスパゲティを入れてくれたとき、友達に「何味?」と聞かれ、とっさに「チーズ」と答えてしまったことがあります。些細な出来事ですが、自分が「日本人」であることを意識した瞬間で、自分が周りとは少し違う存在なのだと感じていました。
アメリカで過ごしたこの5年間は私にとって本当にかけがえのないものです。日本ではできないたくさんの経験ができました。また、世界が広がり、多様な人や環境を当たり前のように受け入られるようになりました。この間に得た経験や価値観は、今の私を形作る大きな土台になったと思います。
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180度変わった日本での小学校生活
小学3年の時に帰国し、地元の公立小学校に通い始めました。黄色い通学帽を被り、新品の赤いランドセルを背負って、初めて母と一緒に教室に入った時の緊張感は今でもよく覚えています。そんな中、初日から「一緒に下校しようよ」と誘ってくれる子もいて、とても嬉しかったことも忘れられません。途中から編入することへの不安はありましたが、優しいクラスメイトに恵まれてすぐに新しい学校生活に慣れることができました。また、アメリカで週2回、放課後に日本語補習授業校に通っていたのと、家での会話は常に日本語だったおかげで、授業への適応も問題ありませんでした。
一方、苦労したことや悩んだこともありました。たとえば、「帰国子女」というレッテルを張られるのが嫌でした。たまにクラスメイトから「英語が喋れる不思議な人」と見られているように感じました。「英語しゃべってよ」とよく言われることがありましたが、断固拒否(笑)。また、自分の名前についての悩みもありました。私の名前のスペルは、海外の人からでも発音されやすいように親が「Lynne」と名付けてくれました。しかし、日本では「なんでそんな変なスペルなの?」と聞かれることが多く、悪気がないことが分かっていてもとても嫌でした。今ではこのコンプレックスはなくなり自分の名前が好きですが、当時は「大人になったらパスポートの名前表記を『Rin』に変えてやる」と本気で思っていたほどです(笑)。今では周りの人との違いを「自分だけの魅力」として誇れるようになりましたが、当時の私はとにかく周りと違うのが嫌だったのです。また最初の頃は、「みんなが知っていることを自分だけ知らない」という場面がよくありました。例えば、「イッテQ!」の話で友達が盛り上がっているのについていけなかったり、会話に出てくる「イケメン」や「キモい」といった言葉が分からなかったりすることが多くありました。でも、「なにそれ?」「どういう意味?」と聞くことさえも少し恥ずかしく感じたことを覚えています。
英語保持は、ハリー・ポッターとディズニーチャンネルのおかげ!?
帰国後、英語を普段は使わなくなったわけですが、私の日常生活はまだ英語で溢れていました。それは、英語の本やテレビ番組のおかげです。自由な時間にはよく英語の本を読んでいました。特にハリー・ポッターが大好きで、全巻を最低でも4回は読み返しました。他にも、『The Land of Stories』や『The Maze Runner』などのシリーズ作品にも夢中になりました。また、ディズニーチャンネルもよく見ていました。『Phineas and Ferb』『Liv and Maddie』『JESSIE』など、シリーズのほとんどのエピソードを制覇したと思っています(笑)。
振り返ってみて「良かった」と思うのは、英語の本もテレビシリーズも大好きで、「英語学習のため」という意識が全くなかったことです。楽しかったからこそ、無理なく英語に触れ続けられたのだと思います。また、好きな本をなんでも買ってくれたり、ディズニーチャンネルを契約してくれたりと、楽しく英語に触れられる環境を作ってくれた母親の存在もとても大きかったことを実感しています。
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毎週土曜日のJOES外国語保持教室
そして、私は帰国直後から2年間JOESの外国語保持教室に通いました。本やテレビ番組と同じように、保持教室の授業も英語学習への負担を感じることなく、楽しく学び続けられました。印象に残っているのは、サイエンスの授業で面白い実験をしたこと、休み時間に友達とホワイトボードで落書きをしたこと、先生と冗談を言い合ってたくさん笑ったことなどです。私にとって保持教室は毎週の楽しみで、英語を学ぶことを苦痛に感じたことは一度もありませんでした。さらに、「帰国生が自分一人だった」小学校とは違い、保持教室では自分と同じように英語を話せる同い年の帰国生と出会うことができました。そこには、地元の小学校では感じることのできなかった居心地の良さがあり、安心して自分らしくいられる場所でした。
また、WritingやReadingのクラスでは、帰国直後にまだ完璧ではなかった文法や文章力を強化することができました。5年間のアメリカ生活で身につけた英語力を保持し、さらに伸ばしていく上で、大きな役割を果たしてくれたと思います。
中学校でJOESの先生と感動の再会
中学受験を経て、慶應義塾湘南藤沢中等部に入学しました。受験塾に入ったのは小学4年の時で、最初は国語・数学・理科・社会 の4科目を学んでいました。その後、小学6年の時に帰国生入試に専念することを決め、理科と社会の授業を受けるのをやめる代わりに、帰国生受験向けの英語塾にも通い始めました。2つの塾の両立させる生活は少し大変でしたが、無事に第一志望の学校に合格することができました。
そして、なんと! 中学1年の英語の授業初日に、JOES外国語保持教室の先生と再会しました。教室に入ると、そこにはJOESに通っていた頃に教えてくださっていた先生がいたのです。あまりにも予想していなかった出来事で、とっても驚きました。中・高等部の英語の授業でも、大好きだった先生に再びお世話になることができ、本当に嬉しかったです。JOESでのつながりが、思いがけないところで続いていることを実感しました。
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(中学校3年生のコロナ禍だった頃)
高校時代は英語「保持」の一歩先まで
中学1年の時に英検一級に合格することができ、中学卒業時には英語を「保持」するだけではなく、その先の段階まで踏み込みたいと思うようになりました。ReadingやWritingなど、「英語を」勉強するのではなく、「英語で」勉強したいと強く思うようになりました。そこで、アメリカやイギリスへの短期留学、英語エッセイコンテストへの応募、英語ディベート大会への出場、日米関係や歴史を学ぶスタンフォードe-Japanプログラムへの参加など、様々な挑戦をしました。
このような経験を通して、「海外の大学で学びたい」という気持ちも強まっていきました。そして、高校3年生の夏頃、慶應義塾大学経済学部とパリ政治学院のダブルディグリープログラムに挑戦することを決めました。
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(モロッコ人の留学生との出会いを綴り、優秀賞をいただきました)
慶應義塾大学×パリ政治学院での生活
このプログラムでは、2年間を慶應義塾大学で、2年間をパリ政治学院で学び、4年間で両大学の学位取得を目指すことができます。昨年、慶應義塾大学での春学期を終えた9月からフランスのルアーブルという町で生活しています。初めての海外での一人暮らしで、最初の頃は日常生活と学業の両立に苦労しましたが、今ではすっかり慣れました。そして、フランスでの1年目を終えて感じるのは、本当に自分の世界が広がったということです。フランス人だけでなく世界各国から集まる学生と共に学び、生活することで、新たな人間関係をたくさん築き、色々な価値観に出会うことができました。また、これまでの環境から離れて生活することで、自分自身の性格や興味について新たな発見も多くありました。
このようなダブルディグリープログラムに挑戦する機会を得ることができたのは、これまでのすべての経験や、知らず知らずのうちに積み重ねてきた努力のおかげではないかと思います。同時に、私一人の力で実現できたことではないことも日々感じています。英語の大切さを伝え続けてくれ、留学などのチャンスがあれば全力で応援してくれた両親には、感謝の気持ちでいっぱいです。
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(今年3月から引き継いだ生徒会の活動を通して仲が深まりました)
将来の夢
これ、気になりますよね(笑)。正直に話すと、まだ模索中です。経済、教育、国際協力、子ども、広報、ブランディング、都市開発など興味は多方面にあり、まだ絞ることはできていません。そんな中でも一つ言えることは、「自分の力で、自分の目に見える形で、誰かを幸せにしたい」という思いがあることです。また、自分の語学力や、世界の様々な場所で多様な価値観に触れてきた経験を活かし、日本で育んできた視点も大切にしながら「国や言語の壁を超えて活躍できる仕事」をしていきたいと思っています。高校時代と同じように、大学でも様々なことに挑戦し、多くの経験を重ねながら、自分だけの道を見つけ、切り開いていきたいです。






