海外経験で育んだ建築と教育への視点【前半】
2026年3月9日
家族/クロスカルチャー

海外経験で育んだ建築と教育への視点【前半】

大学で建築を専攻するメグカは、教員である母の転勤をきっかけに、小学校4年生から6年生までの3年間を台湾・高雄で過ごした。現地の日本人学校での学びや中国語の習い事、異文化での暮らしは、小学生だったメグカに多くの刺激を与えた。海外生活の中で芽生えた教育への関心と建築への思い、その原点となった台湾での3年間を振り返る。(仮名)

(取材・執筆:武藤美稀)

 

台湾で始まった家族の新しい生活

 教員である母の日本人学校への転勤が決まり、メグカたち家族4人が台湾・高雄に渡ったのは2013年4月のこと。母が海外に派遣され、家族がついていくことは1年前から決まっていたが、行き先はまだ決まっておらず、台湾行きが正式に決まったのは前年の12月だった。メグカは、当時、家にあった世界地図を見ながら、「どこに行くのかな」と家族でよく話していたという。

 

「家族にとって、きっと特別な経験になると思いました。当時は言語の問題などはまったく想像もつかず、引っ越しをするくらいの感覚でしかなかったと思います。初めての海外生活に対しても不安はなく、知らない場所への期待とワクワク感、そして他の子とは違った経験ができるという、少し特別感のようなものを感じていました」

 

高雄は台北に次ぐ、台湾第二の都市で、台湾南部に位置している。そのため、一年を通して温暖な気候で、のんびりとした空気が流れている。メグカたち家族が暮らしたのは、日本人も数家族住むマンション。中庭を囲むように同じデザインの棟が3~4棟建っており、メグカは友達とその中庭でよく遊んでいたという。

 

「高雄は、日本統治時代に計画された道のなごりをベースに街並みができていて、京都のように道路が碁盤の目状に広がっている台湾第2の都市です。台湾の人たちの中には、日本統治時代に日本教育を受け、日本語を話せるお年寄りや、日本文化に興味を持つ若者も多く、台湾の中でも特に親日的な雰囲気のある街でした」

近所の夜市によく行っていた
近所の夜市によく行っていた

 

台湾で過ごした小学校の3年間 

メグカと弟が通っていた日本人学校は、各学年1クラス20人以下の少人数で、小・中学校合わせて120人ほどの規模だった。児童生徒の中には、保育園の頃から台湾に住んでいる人や、台湾人と日本人の両親を持つ台湾で生まれ育った人もいた。児童生徒の入れ替わりが激しく、メグカは3年間で多くの友達との出会いと別れを経験した。

 

「授業は基本的に日本のカリキュラムに沿って行われていましたが、週1回の中国語の授業もありました。学校行事は、和太鼓の練習や書き初め、餅つき大会など、子どもたちに日本文化を触れさせることを意識した活動が多かったです。年に2回ほど実施されていた現地校との交流会では、お互いの文化を披露し合い、私たちは和太鼓を演奏しました」

現地校との交流会の様子
現地校との交流会の様子

メグカは、ピアノとサッカー、中国語の3つの習い事をしていた。ピアノは、日本でも通っていたヤマハ音楽教室が台湾にもあり、継続して通うことができた。レッスンは中国語で行われていたため、最初は先生や生徒とのコミュニケーションに苦労したという。

 

「通っていた中国語の教室では、さすがに音楽用語までは習わなかったので、ト音記号やペダルといった言葉は、先生のジェスチャーや発音からなんとなく理解していました。 最初は、音楽教室の他の生徒たちが手遊びをしたりおしゃべりをしたりする輪の中に、なかなか入ることができませんでした。でも、近くでみんなの話を聞いているうちに、何を話しているのか少しずつわかるようになって。台湾を離れる頃には、みんなに手遊びを教えてもらい、一緒に遊べるまでになりました」

台湾のヤマハ音楽発表会の様子。
日本でも吹奏楽曲として知られる曲をエレクトーンで弾いた

台湾では日本と異なり、習い事は外が涼しくなる夜7時~9時に行われることが多い。また、台湾の学校には「お昼寝タイム」があり、遅い時間に子どもたちが習い事に通うのは一般的だという。放課後には学校が運動場を開放し、そこでスポーツ教室が開かれたり、近所の大人たちがランニングをしたりする光景も見られた。

 

「6年生の修学旅行では台北を訪れました。小籠包作りを体験したり、十份(じゅうふん)でランタンに願い事を書いて空に飛ばす“天燈上げ”をしたりと、台湾の伝統文化に触れる機会がありました。台湾統治時代の歴史的建造物を見学したことも記憶に残っています」 

学校が契約した旅客バスをスクールバスとして利用し通学
学校が契約した旅客バスをスクールバスとして利用し通学

教育と建築への関心の芽生え

母が教員であり、高雄日本人学校では先生との距離が近かったこともあって、メグカは高校生の頃から教育に関心を持つようになった。ただ、大学では教育以外の分野も学びたいという思いがあり、美術学部建築科に進むことを決めた。

 

「以前から、日本の教育が文系と理系に区分されていることに違和感を覚えていました。世の中は、どちらか一方だけで成り立っているわけではないと思っていたからです。 ある日、進路に悩んでいた私のために、母が美術予備校のチラシを持って帰ってきました。私が、『大改造!! 劇的ビフォーアフター』などの建築のテレビ番組をよく見ていたことや、模型を上からのぞき込むような“小さな世界”が好きだったことを覚えていてくれたようで。それが、本格的に建築を学ぶきっかけになりました」  

 

後半では、現在メグカが在学している建築科での生活や、卒業制作で設計した学校模型について、さらにこれまでの海外経験から得た学びや将来の目標について話を聞いた。 (2026年4月13日公開予定)