医療系メーカーに勤務する父タケシと母ルイは、長女マキ、長男コウジ、次男ケンジと共にタイ・バンコクで3年5カ月に及ぶ駐在生活を経験した。渡航したのは、双子の長男・次男が生後8カ月のタイミング。未熟児で出産したこともあり、現地の医療水準にも不安を抱えながらのスタートとなった。さらに、バンコク駐在中に次男に障がいがあることが発覚。異国の地でどのような教育を受けさせるべきか迷う中で、日本人コミュニティの存在やタイ人のやさしさに助けられたという。家族5人で乗り越えたバンコク駐在生活について詳しく聞いた。(仮名)
(取材・執筆:丸茂健一)
生後8カ月の双子を連れてバンコクへ
タイでは、1980年代から日系企業の製造拠点が数多くつくられ、首都バンコク近郊では、多くの日本人駐在員が生活してきた歴史がある。そのため、バンコクのほか、シラチャと呼ばれる日系企業の工場が集まる街にも日本人学校があり、周辺では日本人向けのスーパーやレストランなどを数多く探すことができる。
ルイが、タケシからタイ駐在を告げられたのは、マキがようやく地域の保育園に入れたころ。そこで、2007年、まずは生活基盤をつくるため、タケシが単身赴任する形でバンコク駐在が始まった。そして、自身もバンコクでの生活をスタートしようと準備していたところで、次の妊娠が発覚した。
「夫のタイ赴任についていく決心をしたタイミングで妊娠が発覚し、しかも双子であることがわかりました。マキを未熟児で出産していたこともあり、双子は日本で産みたいと考えました。その後、未熟児ながら無事、双子を出産することができ、生まれてきたコウジ・ケンジが8カ月、長女マキが2歳前のタイミングでバンコクに行くことになりました。子ども3人を異国の地で育てられるのか? 助けてくれる人はいるのか? 医療水準は大丈夫なのか? 不安だらけの状態で生活を始めることになりました」
100㎡超えの3LDKで現地生活をスタート
住居は、プロンポンと呼ばれる日本人駐在員が多く住んでいるエリア。近くには、近代的な病院や日系スーパーもあり、住みやすい環境が整っていた。夫が必死になって探してくれた「アパート」の間取りは、100㎡程度の3LDK。築年数は古いながらも、夕方には同じ年齢層の子供たちが庭で一緒に遊ぶ、和気あいあいとしたアパートだった。
ルイが心配した医療水準に関してもまったく問題ないことがすぐにわかった。プロンポン駅近くの国際病院には、アメリカ留学を経験した医師が複数いて、日本語の通訳スタッフも常駐していた。さらに、バンコクには日本人向けの幼稚園があり、1歳半から受け入れてもらえることもわかった。
「医療機関がしっかりしているのは安心でしたが、子育てに関しては、さまざまな苦労がありました。まず小さな子ども3人を連れて公園まで簡単に行けないこと。バンコクは歩道こそあるものの、段差が大きくて2人乗りベビーカーをその都度持ち上げるのは難しく、なかなか移動できませんでした。片側4車線の道路の向こうに公園が見えるのに、連れて行けず……残念ながら、子どもたちはマンションの庭で近所の子たちと遊ぶことがほとんどでした」
ケンジに「自閉症」の診断がおりる
マキは、バンコクにある日本人スタッフも在籍するキラキラKids幼稚園に通い始め、英語と日本語で教育を受けられる環境で、フットサルやダンス、ピアノなどを習って楽しく過ごした。双子のコウジ・ケンジも1歳半から受け入れ可能な別の現地幼稚園に通い始めるが、ここでケンジの発達障害が発覚する。母として言葉が遅いなという認識はあったが、専門外来を受診したところ、「自閉症」の診断がおりた。
「自閉症と聞いたときは、ケンジは私が家で育てようと決心しました。しかし、バンコクで活動する日本人ボランティア診療チームに相談したところ、やはり集団の中にいたほうがいいというアドバイスを受け、その後、幼稚園を転々とすることになりました。最終的に、タイ人・ハーフの子や日本人が在籍してシュタイナー教育を実践する『バーンラック幼稚園』で受け入れてもらい、9カ月ほどクラスの友達に助けてもらいながら楽しく過ごすことができました」
診断結果はショックではあったものの、周囲のタイ人が障がいに対して理解があったことに救われたという。過去に王族に自閉症のご子息がいらしたことから、ケンジが偏見を受けることはまったくなかった。マンションの庭では、住み込みで働いているハウスキーパーさんたちがいつもコウジやケンジと遊んだり、やさしく話しかけたりしてくれた。タイの人々のやさしさに触れられたことは、ルイを勇気づけた。
発達に心配を抱える子どもを支える「OZの会」
また、バンコク在住の日本人で組織する「OZの会」にも助けられた。これは、子どもの発達に何らかの心配を抱える親子のための情報交換の場で、ルイはここで知り合った保護者仲間の紹介で、ケンジにABA(応用行動分析学)のトレーナーの指導を受けることを決意した。ABAは自閉症などの発達支援の際に用いられている手法で、ケンジはバンコク駐在中に年4回ほど専門的な指導を受けることができた。
「OZの会は、年齢もバラバラで、先輩ママからたくさんのことを教わり、心の支えになりました。ABAのことも日本で暮らしていたら知らなかった可能性もあり、狭いコミュニティで似た境遇の方と密に話せたのは本当によかったと思います」
コウジも最初は、ケンジと同じ現地幼稚園に通っていたが、姉と一緒に過ごしたほうがよいと思い、マキが通うキラキラKids幼稚園に転園することになる。同様に発達障害の診断を受けていたが、コウジはタイ人のトレーナーによる発達支援の療育を受けることができ、転園以降も明るい性格そのまま、元気に通うことができたという。
日本人向け幼稚園が10カ所以上あった
マキ、コウジが通ったキラキラKids幼稚園は、日本人、タイ人、フィリピン人のスタッフがいる幼稚園で、英語・日本語・タイ語を使って保育をしてくれた。日本人の子どもたちが多く通っており、年中行事として、お餅つき大会、豆まき、運動会などが行われていた。さらに、ハロウィンやクリスマスパーティのほか、タイのお祭り「ロイクラトン」の際は、タイの民族衣装を着て、灯籠流しのイベントを楽しめた。バンコクには、こうした日本人向け幼稚園が10カ所以上あったという(2009年当時)。
「マキは、幼稚園が大好きで、フットサルやダンスなど、どんどん新しいことに挑戦しました。主に日本人の子どもたちが通う幼稚園でしたが、、英語やタイ語を使って、誰とでもフラットにコミュニケーションを取っていました。これは人との壁をつくらない娘の性格形成に大いに役立ったのではないかと思います」
後編では、幼稚園探しに奔走する日々も落ち着き、障がいと向き合いながら外出を楽しむようになった日々を追う。日本の生活では得られない“気づき”もあったそうだ。(2025年1月14日公開予定)