あさひ学園は、アメリカ・ロサンゼルスにある日本の文部科学省・外務省が支援する補習授業校(補習校)です。ロサンゼルス近郊に系列4校を構える全米でもかなり規模の大きな補習校だといえます。異文化理解を大切にしながら、日本文化に触れる機会も豊富に用意しているのがあさひ学園の特色。毎週土曜日、日本の学校と同等のカリキュラムと教科書で本格的な授業を行い、ロサンゼルス近郊に住む子どもたちの日本語教育を支えています。今回は、あさひ学園で学んだ経験を持つ卒業生3名がオンラインで集結。あさひ学園の思い出や現地で学んだこと、それらが現在の仕事や学びにどのように役立っているかを語っていただきました。
(取材・執筆:丸茂健一)
【プロフィール】
補習校のおかげで日本の大学進学という選択肢を維持できた
——まず皆さんの海外経験と現在に至るバックグラウンドを教えてください。
小松:私は現在、北海道大学工学部で環境工学を学んでいます。水の浄化に関する研究室に所属していて、卒業後は大学院で同じ研究を続けるつもりです。あさひ学園には、中学1年から高校2年まで通いました。数学の授業が充実していたのをよく覚えています。
中野:私は2024年5月にハワイ大学マノア校を卒業して、2025年4月から全日本空輸株式会社(ANA)で働くことが決まっています。ハワイ大学では、海洋生物学を専攻し、ウミガメの研究をしていました。在学中に交換留学で、上智大学総合グローバル学部に約半年間、通ったこともあります。あさひ学園に通ったのは、高校2年次の半年ほどです。それまでは、アメリカ・ジョージア州の現地校と補習校に通っていました。高校2年のときにオレンジカウンティに引っ越して、現地校とあさひ学園に通い、卒業後にハワイ大学に進学しました。
ギブソン:私は日本の聖心女子大学を卒業し、現在はデロイトトーマツコンサルティング合同会社で働いています。大学時代は英文学を学んでいたのですが、現在はITの営業支援システムの導入から運用までを一貫して行い、クライアントの問題解決のサポートをする仕事をしています。私自身はカリフォルニア生まれで、父がアメリカ人、母は日本人です。家での会話は英語と日本語の両方でした。あさひ学園には幼稚部から高等部卒業まで12年間みっちり通い、高校卒業後に大学進学のために日本に来ました。
——あさひ学園に通っていた頃の忘れられない思い出はありますか?
小松:私は中学校・高校の6年間をアメリカで過ごしたのですが、だんだん日本との感覚のズレみたいなものを感じるようになっていたんです。これは、海外で生活する人はわかると思うんですが、アメリカの文化にも順応したいけれど、日本の感覚も持ち続けたいというような……。大げさに言うと日本人のアイデンティティを取り戻す場所があさひ学園だった気がします。高校卒業後に日本の大学に通う決断をしたのも、あさひ学園に通っていたことが理由のひとつです。日本文化という“価値観”を持ち続けられたことで、ほとんどの仲間がアメリカでの進学を選ぶなかで、日本の大学進学という選択肢を手放さずにいることができました。
中野:そんなふうに考えていたんだ! 私は大学で海洋生物学を学びたいと思っていて、その専攻があったのがハワイ大学マノア校だったんです。私自身は、アメリカで生まれて、幼少の頃に日本に戻り、中学校卒業まで神奈川県の中学校に通っていました。その後、父親の仕事の都合で、高校からアメリカで過ごし、ハワイ大学に進学したのですが、英語にはずっと苦手意識を持っていました。なので、日本の大学も選択肢にありましたが、アメリカ国籍があったので、学費の面で有利な状況もあり、海洋生物学を学べるハワイ大学に行くことを決めたんです。
ギブソン:アメリカ生活が長い私のほうが、逆に日本の大学を選んだのは面白いね。私はもともと日本が好きで、毎年夏休みに母と一緒に日本で生活するのが楽しみで、いつか日本に住みたいと思っていたんです。姉がいるのですが、彼女は簡単な日本語の読み書きしかできなくて、母は私にはしっかりした日本語を身につけてほしいと思って、あさひ学園に通わせていたようです。
全米でもあさひ学園ほど厳しい補習校はないのでは
中野:アメリカ生まれの舞花(ギブソン)にとって、あさひ学園ってどんな場所だったの?
ギブソン:週1回だけ通う同じ目標の仲間がいる場所、刺激のある場所という印象でしたね。私は幼稚部から通っていて、小学部の頃は、国語・算数・理科・社会に加えて、日本語で音楽も学んでいました。高等部時代は小論文の授業もあったり、学期末には期末試験もあって落ちたら再試もあったりと、補習校でここまで厳しいところはないと思いますね。
小松:あさひ学園は、ロサンゼルス近郊にサンタモニカ校、サンゲーブル校、トーランス校、オレンジ校の4校があって、各校でちょっとずつ雰囲気が違うんです。私が中学部まで通っていたサンゲーブル校は、わりと幼少期からアメリカに住んでいて、英語のほうが得意な子が多かったですね。一方、高等部から通いはじめたオレンジ校は駐在ファミリーなど日本語のほうが得意な子が多い印象でした。
ギブソン:私たちはオレンジ校の高等部で出会ったんだよね。
小松:そうなんです。あさひ学園の思い出といえば、宿題が多かったことですかね。よく言われることですが、特にアメリカの現地校は、数学のレベルが高くないんです。なので、あさひ学園で日本のカリキュラムで高校の数学を学ぶことで、自然と日本の受験を意識できるようになった気がしますね。実際、帰国子女が大学入学共通テストを受験するためには、かなり特別な勉強の環境が必要だと思います。「日本の高校では、こんなことをやっているよ」という話を聞くことで、日本に戻る選択肢があることを自分に思い出させる効果があったと今では思いますね。日本の記憶を補強するような場所だったかな。
中野: あさひ学園は、しっかり勉強する人が集まる場所という雰囲気がありますよね。ここに通う前、私はジョージア州の補習校にも通っていたのですが、そっちはぜんぜん違う雰囲気。ほとんど日本人の友達と話しに行くような感じで、人数も高校1~3年一緒のクラスで20人くらいかな。あさひ学園は高等部でも1学年12人から20人くらいいたよね? あさひ学園で出会った友達とは、ずっとSNSで連絡を取り合っていて、今でも日本でよく会っています。
ギブソン:「あさひ学園の卒業生」というだけで、謎の仲間意識があるよね(笑)。実は私、大学時代に東京・赤坂のスターバックスでアルバイトをしてたのですが、そこのディストリクトマネージャーさんがあさひ学園で学んでいた経験があったんですよ。昔、アメリカにいたという話から「もしかして、あさひ?」ってなって、すごく親近感がわきましたね。実は、「あさひネットワーク」は強力かもしれません。
体育祭など日本の学校らしいイベントがある
——あさひ学園で日本人コミュニティができていたんですね。
小松:それはあったと思います。アメリカで暮らしているとどうしても日本人はマイノリティになりますよ。そこで、あさひ学園のようなコミュニティがあることで、「自分は日本人なんだ!」という自覚を持てた気がするんですよね。特に、私の通ったオレンジ校には、日本人コミュニティがあって、小さい村のような居心地のよさがありましたね。結構しっかり勉強もするのですが、やはり友達の家に行くような感覚はありました。
ギブソン:高等部の体育祭で応援団のメンバーと同じTシャツをつくって、ダンスしたことは忘れられません。ほかにも、茶道、華道、百人一首なんかのイベントがあって、高等部は本当に楽しかった。小学部の頃は、授業が終わったらすぐ帰る子も多かったのですが、高等部ではずっと友達と話していましたね。あと弁論大会で、「日本においての英語教育」についてをテーマとして話した記憶があります。どれもいい思い出です。
中野:私は高校2年次の約半年間しか、あさひ学園に通っていないのですが、体育祭や弁論大会などのイベントに参加できたのは楽しかったですね~。特に体育祭は、事前の練習とかもあって、アメリカの文化にはまったくないものでした。あと、校舎対抗戦なんかもあったよね(笑)。
将来は日本のグローバル化に貢献したい
——皆さんの将来の夢や目標があれば、教えてください。
小松:まずは大学院の修士課程に進学して、環境工学の研究を続けるつもりです。その先は研究者になる可能性もあると思います。大学院の博士課程からアメリカに留学することも視野に入れていて、環境工学で有名ないくつかの大学を調べています。一方で、企業に就職して環境系のエンジニアになる選択肢もあると思っていて……。日本語、英語、工学の知識をすべて活かせる仕事があればいいですね。日本のカルチャーを理解した上で、海外における日本の技術導入を支援する仕事などに興味があります。やはり、いつか海外で活躍したいという思いはありますね。
中野:私は大学でウミガメの研究をした後、航空業界というまったく違うフィールドで働くことになります。私は高校でアメリカに渡るとき、わりとネガティブな気持ちだったんですね。本当は海外なんか行きたくない……と。ただ、その気持ちを乗り越えた今、日本と世界をつなぐ仕事をしたいと本気で思っています。ANAには、総合職で入社する予定です。当然、キャリアの中で、海外勤務を経験する可能性もあります。世界的にも注目されるグローバル企業で、さまざまな世界を見たいと思っています。
ギブソン:私も英語力と日本語力を活かして、グローバルに働きたいですね。就職先のデロイトトーマツコンサルティング合同会社では、コンサルティングの業務に携わります。コンサルティングの仕事に興味があったのは、あらゆる業界と接点を持ち、企業経営や事業戦略の立案に関与したり、クライアントに寄り添いニーズを理解し問題解決をサポートしたりすることにやりがいを感じたから。今の就職先ではコンサルティング業務だけでなく、ITの知識も増やせていける環境です。デロイトUSAに転籍できる制度もあるので、いずれアメリカで働ける可能性もあります。今はまず、コンサルティングの仕事を覚えて、日本企業のグローバル化を支援できたらいいなと思っています。
保護者にとっても貴重なコミュニティが見つかる
——最後に今、海外で補習校に通っている人やこれから補習校に通おうと検討している人にメッセージをお願いします。
ギブソン:補習校って、イヤイヤ通っていた人も後になるとみんな「ちゃんと行けばよかったー!」って言っています。海外で言語の壁に戸惑っている人には、最高の息抜きの場所になると思います。補習校に通うことで、人的ネットワークや将来の選択肢が広がる可能性もあります。12年間通った私が太鼓判を押します!
中野:やはり言語の壁で悩んでいる人にとっては、楽しい場所ですよね。私もジョージア州に引っ越した当初、泣きながら現地校に通っていたので、その気持ちがよくわかります。休み時間も日本語で話せるって最高って思った気がします。また、別の視点では、あさひ学園で出会った人は、みんなグローバルに活躍しています。世界中のいろいろな場所で、その人らしく活躍していて、すごく刺激をもらえます。私もそのネットワークを活かして、頑張りたいです。
小松:やはり海外で母語が使えない環境にいると誰でも自己肯定感が下がっていくんです。補習校は、それを回復する場所だった気がしますね。また、日本人としての自分が風化していくことから守ってくれる堤防のような役割も大きいと思います。 これは「あるある」なのですが、海外生活が長い日本人が、逆に日本人コミュニティに馴染めなくて悩むこともあります。そんなとき、補習校は海外の自分と帰国後の日本人コミュニティをつなぐ場所にもなります。 もうひとつ大きなメリットとして、保護者にとってのコミュニティであることも挙げられると思います。私の母は、あさひ学園の「ママ友コミュニティ」にずいぶん助けられたと言っていました。日本の受験に関する情報も補習校経由で入ることが多いようなので、やはり駐在先に補習校があれば、通っておくことをおすすめします。
——皆さん、ありがとうございました!