2024年7月29日
トピックス(その他)

パリオリンピックのアーティスティックスイミング アメリカ代表、 フィールド恵美さんの母、直美さんにインタビュー

いよいよ始まるパリオリンピック。
アーティスティックスイミングのアメリカ代表として、フィラデルフィア日本語補習授業校に幼稚園から小学校5年生まで通われていたフィールド恵美さんが出場します。
スタンフォード大学に入学予定の18歳。
恵美さんは、母親の直美さんの影響を受けて、5歳からアーティスティックスイミングをはじめ、その才能が努力によって開花。
恵美さんが10歳の時に12歳以下のナショナルチームのメンバーに選ばれたのをきっかけに、直美さんは当時住んでいたデラウェアから、一流のコーチのいるカリフォルニアに、夫と義母、次女・三女を残して、恵美さんとふたりで移住することを決意します。
このたび、全面的に恵美さんをサポートされてきた直美さんに、今の思いや子育てについて伺ってみました。

恵美さんがアメリカ代表としてオリンピック出場が決まったときは、どんなお気持ちでしたか?

デラウェアにいる時は、親としては全く考えられないことでしたので、とっても嬉しかったです。

 

恵美さんとカリフォルニアへの移住を決意された際は、どのような思いだったのでしょうか。

デラウェアのシンクロコーチから「強いチームでトレーニングをした方が良い」というアドバイスがあったので、主人と私は「次のステップに進む」という考えで一致していました。
少人数のクラブでしたが、一流のコーチからトレーニングを受けられるということで全く不安はなかったのですね。
次女と三女は、離れることに反対だったかもしれませんが、「少し落ち着いてから(あなたたちも)カリフォルニアに来るんだよ」と言ってあったので問題はなかったと思います。
ただ、2人ともとてもピッキー(食べ物の好き嫌いが多い)だったので、ちゃんと栄養が取れるか心配でした。

恵美さんの学業とアーティスティックスイミングの両立には、どうサポートされてきたのでしょうか。


かなりうるさく、宿題を早く終わらせるように言っていました。
練習が終わるのが遅いので、なるべく学校でできることは済ませておくように、と。
日本語と英語の両立に関しては、特に努力はしていませんが、日本にいた母親が病気だったため、恵美が小さい頃は何度も日本に行き、その度に幼稚園に入れていました。
幼い頃は日本で、その後はフィラデルフィア日本語補習授業校で日本語を使う環境があったのがよかったと思います。

 

恵美さんを筆頭に3人の娘さんがいらっしゃいますが、それぞれ性格は違いますか。


性格は3人違って、言ってもやらない娘もいますし、言ってちゃんとやる娘もいます。
恵美は、すぐに終わらせてスッキリしようというタイプで、手を抜くところはしっかり抜いて、努力する方だと思います。
下2人はやらず、かなり悪戦苦闘でした。
「やらなければ、好きなことはやらせない」などとも言ったりしましたが、その時ばかりで……。
最後まで諦めずに子供と向き合うお母さんもいますが、私は全く参考にならない母親ですね。
子どもが慕っている先生に言ってもらったり、私以外の人から言ってもらったりして、効果が出る時もありました。
娘と意見がぶつかったときは、少し時間が経ってから話をして修復するようにしています。

最後に、母親として心がけていること、娘さんたちに望んでいることを教えてください。


アメリカは全て親が送迎しないといけないので、子どものスケジュールを把握して、なるべく時間は守ることを心がけています。
娘たちには、自分のやりたいことがあったら、努力して進んでいって欲しいですね。
「何事も、基本が大切」、日本人とし生まれ育っているからそう思えるのかと、アメリカにいると思いますが、勉強もスポーツも全て基本、基礎が大切だから、それを努力するように伝えています。

 

― 有難うございました。

恵美さんが出場するアーティスティックスイミングの国別団体戦は8月5日~7日、デュエットは9日~10日です。
恵美さんのご活躍を心から願い、応援しています!