【ロサンゼルス在住 岩井英津子さんによる現地の学校や生活を紹介するコラム】
ロサンゼルスは温暖な気候で知られていますが、パロスバーデス半島の高台に立つと、海から吹き上げる風が肌を冷やし、秋とは言え、小雨の日には一層寒さを感じます。ここは、ロサンゼルス郡南西部に突き出したかっこうの半島で、かなり起伏があります。
お邪魔したのは、平日の補習校である東西学園。高台にあり、ロサンゼルス市街を一望できる素晴らしい景観のカトリック系教会を校舎として借用しています。この日は小雨模様、コートを持たないで出かけた私は寒さに震えるほどでしたが、見晴らしの良い校舎前で子どもたちが元気に鬼ごっこをしている姿は、寒さを忘れさせるほどの活気に満ちています。

今日は、幼少期を「東西学園」で過ごし、日本語と日本の礼節を身につけた岡本Gary守さんをご紹介します。彼は、アメリカと日本という二つの文化の架け橋になってきました。
「ウォール街でのキャリアを経て、現在は急成長している南カリフォルニアの日系企業でファイナンスと会計を担当しています。息子たちも、かつての自分のように現地校と補習校を両立して育っています。親子二代にわたる『二つの学び(二言語・二文化)』は、その言語や知識だけでなく、二つの言語を使えるという誇りと豊かな人生の機会とを子どもたちに伝えています」(守さん)
守さんの父親は海外転勤に伴い、一家でロサンゼルスに渡りました。当時は両親と兄二人の四人家族で、父のロサンゼルス駐在時代に守さんはアメリカで生まれました。兄たち同様、現地校はもちろんのこと、当時ガーデナにあった補習校の「東西学園」に通ったのは、「日本に帰国した時に困らないように」という両親の願いからでした。
東西学園は、「東と西、日本とアメリカをつなぐ国際人を育てる」ことを理念に、1969年にカリフォルニア州ガーデナに設立されました。その理念を体現する人が守さんです。同校の石井光男校長先生も、誇らしく思う卒業生だと太鼓判を押します。

守さんは、東西学園での行事や運動会の楽しい思い出と同時に、漢字の書き取りの練習など辛いと思ったこともありましたが、異国の地で日本の文化に触れる日々は彼の人間形成の原点。守さん自身が「東西学園は自分の原点のような場所です」と語るように、そこで培った日本的な礼儀や仲間との時間は、彼の行動規範を作ったものだと自覚していて、東西学園への感謝の気持ちを今も強く感じています。
幼少期の頃の話に戻りましょう。父親に日本への帰国命令が出たとき、いったんは、家族全員が帰国しました。しかし両親は、当時の公立学校の受け入れ態勢などを見て、子ども達にとってはアメリカののびのびとした環境で育てる方が充実した生活を送れるのではないか、と逡巡しました。結果、子ども達だけをアメリカに戻すことを決意。守さんは幼かったため、兄たちに遅れてアメリカに戻りましたが、この頃感じた兄弟に「残された」という感覚は、やがて自分の道は自分で切り開く原動力へと変わりました。
その後、UCLAで学士およびMBAを、のちに一橋大学で博士号(DBA)を取得しました。この博士号(DBA)は、一橋大学ビジネススクール国際企業戦略研究科において初となるものでした。一橋大学では、日本を代表する経営学者の竹内弘高教授との出会い、また、アメリカの企業戦略・競争戦略分野の第一人者であるマイケル・ポーター教授との共同研究など、守さんの学術研究が大きく羽ばたくきかっけがありました。何より人生の大きな喜び、転換となったのは、のちに奥様となる佳子さんとの出会いかもしれません。
会計士(CPA)資格も取得した守さんは、アメリカの四大会計事務所と言われるPricewaterhouseCoopers、大手金融機関Bank of America Merrill Lynch、Mitsubishi UFJ Morgan Stanleyなどを含め、約20年にわたりウォール街で働きました。そこで得たのは、「会計はビジネスの共通言語」という確信です。数字の裏にある意思や文化の違いを読み解く力は、国際企業戦略を専門にした大学院での学びや博士号取得と相まって、「職業観を形作った」と振り返ります。
このような教育・職業観に大きく寄与したエピソードが二つほどあると教えてくれました。
一つは、以前、ロサンゼルスにあった日系の大手スーパー「ヤオハン」での学生アルバイトの経験です。商品を並べながら耳にした日本語の響きは、彼にとっては自身を形成した大切な原点。懐かしく心地よく、アイデンティティを確認する時間でもありました。
二つ目に、さらに大きく影響があったと思われるのは10代の頃に兄弟3人で立ち上げたバイリンガル水泳教室。父親を説得し、自宅の裏庭に大きなレッスン用プールを設置。そこで、主に東西学園に通う子ども達を対象に、英語・日本語で水泳のコーチをするというもの。このニッチな教育事業が大当たり。守さんにとって、こうした経験が「日本に触れたい」という思いを強め、企業戦略等の学びの方向性を定めていったのです。
守さんには3人の息子がいます。長男は、Ridgecrest Intermediate Schoolの7年生で、ゴルフとサッカーに夢中になっています。そして、双子の息子たちは、Vista Grande Elementaryに通学。パロスバーデス地区は学力の高い地域ですが、ここは、その中でも群を抜いて優秀な小中学校で、日本からの駐在家庭の子女も多いです。そして、平日は父・守さんが通ったように「東西学園」にも通っています。
多くの人種が集まるアメリカ、現地校では両親や在籍する子ども達のルーツの国を知る、紹介するという趣旨のInternational Dayという行事があります。
よく晴れたイベント日和の日、Vista Grande Elementaryで行われたInternational Dayに参加させていただきました。この日、守さんの双子の息子たちは、青いお祭り法被を着こみ、笑顔で日本ブースを担当します。自分のルーツである日本を誇らしく思う様子が見られます。補習校で学ぶ日本語や礼儀、そして人への思いやりは、現地校での学びと相互に作用し合い、言語面はもちろん日本の文化に対する敬意も育んでいるかのようです。

親である守さんが東西学園で培った価値観を、子どもたちが同じ場で学ぶということは単なる教育の継承だけではありません。守さん自身が経験したように、二つの教育環境は、子どもに「どちらか一方ではない選択肢」を与えることになり、それは人生の優位性を感じるものだとはっきりと明言しています。
英語で世界を読み解き、日本語で礼儀や文化を理解する力は、将来の選択肢を広げるだけでなく、自分の言葉で語れる人間を育てます。守さんは「今は大変だとしても、続けるうちに必ずpayback(見返り)がやってきます」と語りました。その見返りは外から与えられるものではなく、内面に芽生える誇りや確信なのだと、おだやかな瞳の奥に信念を感じる言葉でした。
現在の守さんは、ウォール街時代の緊張感とは異なり、人との距離が近く、地域に根ざした働き方を今の職場で楽しんでいるそうです。まったく新しい業界で課題がありながらも解決していく過程は、グローバルな視点とローカルな実感を両立させる日々。ここに至るまでには、日本の「義理と人情」にも助けられてきました。アメリカの実用的な考えに対する、日本の「情け」。守さんの背中は、子どもたちにとっても日米両国の身近な学びの場となっています。週末はスポーツや家族との時間を大切にし、子どもたちには「広い世界を見て、自分の言葉で語れる人になってほしい」と願っています。
現地校と、補習校である「東西学園」で育った一人の青年が、大人になり、父親になる。国際的な舞台で経験を積み、再び地域に根ざす仕事を選ぶ。東西学園の石井校長先生は「守は、我が校の自慢です。そしてこのような優秀な人材がさらに本校で多く育っています」と、誇りと自信に満ちた優しい笑顔でお話しされました。

守さんの人生の軌跡は、彼の息子たちが現地校と補習校を両立する姿に自然と受け継がれているようです。
今、何校かの補習校は、設立されて数十年となり、時を越えて親子二代で紡がれる「二つの学び」が多く見られます。また、祖父母が補習校に通っていたという在籍生もいます。この二言語・二文化での学習は、単なる教育の二重履修というわけではありません。自分のルーツを知り、その文化に対する自信と進むべき道の選択の自由を与えてくれるものなのです。
岩井英津子(いわいえつこ)
国際教育アドバイザー。USJP Rockwell Education & Beyond 代表。アメリカロサンゼルス在住40余年。商社の女性駐在員として渡米し、退社後、永住権取得。補習校の教員として小学校中学校の指導歴20年、学校管理職10年および専務理事として補習校経営10年、在外子女教育に従事。2024年よりJOESの国際広報を担当。







