コンサルティング企業の経営者である母・佳子は、独立前の会社勤務時代にシンガポール現地法人を立ち上げを自ら提案し赴任、家族4人で計8年間の駐在生活を経験した。長女・リノ、次女・レイの育児を父・健一が主に担当する現地での日々。インターナショナルスクールに通っていた子どもたちは、高校卒業後、海外で学ぶ未来を選んでいく。両親とともに海外に飛び出した娘たちは、シンガポールで何を学び、何を得たのか——。母親の海外赴任に家族が同行する新たな時代の海外駐在の物語。
(取材・執筆:丸茂健一)
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リノはアイルランドの医学部へ進学
シンガポールでの生活が2年ほど経ったある日のランチタイム、リノが佳子に言った。
「ママ、私、医者になろうと思う」
話を聞くと、海外大学の医学部進学を検討しているという。大学は日本で進学すると思っていた佳子は驚いた。しかし、リノの決意は固かった。
きっかけは、修学旅行で訪れたカンボジアでのボランティア活動だった。貧困地域で家屋の修繕などをサポートするなかで、「子どもが一つの家庭に10人生まれても3人しか生きられない」という開発途上国の現実を知って強い衝撃を受けたのだという。
「もともと子どもが好きで、子どもにかかわる仕事をしたいという気持ちがあったようです。また勉強では、理系バイオが好きでした。カンボジアでの体験を経て、看護師という仕事に興味を持っていましたが、仕事内容を調べるうちに、自分には医師が向いていると判断したようです。リノは根っからのリーダー気質で、家庭内の意思決定も彼女が常にリードしていましたからね」(佳子)
リノが通っていたシンガポールのインターナショナルスクールは、国際バカロレアディプロマプログラム(IBDP)の認定校だった。そのため所定の単位を取得して卒業すれば、IBDP修了証で入学資格を得られる海外の大学が多数あった。その制度を利用して、リノは最終的にアイルランドの医学系大学を選んだ。ただでさえ難しい医学を第2言語で勉強するという選択に、佳子も最初は不安に思ったが、そんな心配をよそにリノは自分の夢に向かって突き進んでいった。それは、シンガポールに自らの意志で乗り込んだ母の背中を見て育った影響も大きいだろう。
帰国したレイは日本でカルチャーギャップに悩むことに
一方、小学校1年生からシンガポールのインターナショナルスクールに通い始めたレイは、中学校2年生のときに、両親と一緒に日本に帰国することになる。英語の環境にはあっという間に順応したレイだったが、日本のカルチャーにはなかなか慣れることができなかった。
まず、日本語力が不足しているという理由で公立中学校への編入ができなかった。家庭では日本語で会話をしていたが、日本語のテストの判定は、「小学校4年生レベル」。そこで、日本国内のカトリック系インターナショナルスクールを進学先に選んだ。英語で学ぶ環境は、日本もシンガポールも同様だと思いきや、少々異なっていた。
インターナショナルスクールとはいえ、日本国内という環境からか、「顔は日本人なのに、英語しかしゃべれない」「敬語もまともに使えない」と後ろ指を指されることがあったという。また、帰国直後に通学途中で痴漢被害に遭ったのも本人にとっては大きなショックだった。シンガポールでは、まったく経験したことがない事態。まだ中学生だったレイの目に、日本は不気味な国に映った。
「多くの帰国生が感じることだと思いますが、『周囲と同じでなければならない』という日本人特有の同調圧力を彼女は痛いほど感じたようです。『どうしてみんな人のことばかり見るのか。人と比べるのか。自分を持っていないのではないか。シンガポールでは人の違いを気にする人なんていなかったのに』という言葉を聞いたとき、私は、日本の社会が抱える見えない壁を実感しました」(佳子)
日本でカルチャーの壁を痛感したレイは、これをきっかけに人の心理、さらに心を司る脳の仕組みに関心を持つようになる。そして、日本のインターナショナルスクールで高校卒業までを過ごし、イギリスの大学に進学。現在は、心理学や脳科学を専攻しているという。
「世界は広くて遠いようだが、意外に近い。行くか、行かないか、だけ。」
2022年に帰国したのには理由があった。佳子が独立を決意したからだった。主な理由は、経営者・経営チームの組織変革に直接関わりたい、という思いが強くなったからだ。日本企業を内からだけでなく、外から見る機会を得た佳子は、この経験を企業の変革に活かしていけるのではと考え、2022年に拠点を日本に移し、自分の会社を起業した。

現在、リノは、アイルランドの医学部を卒業し、医師免許を取得後、イギリスで2年勤務し、現在はニュージーランドの病院で働いている。イギリスからニュージーランドに拠点を移すと聞いて、佳子は驚いたが、リノは「UKもNZも同じく、無料で医療サービスが受けられる医療制度があり、常に長い待ち時間と労働不足が起きてしまう、という共通の課題ではあるものの、環境とカルチャーがより自分にフィットしていると感じる」とNZからオファーが来たときに即決で決めたという。イギリスの大学で学んでいるレイは、日本人であるというアイデンティティはあるものの、大学卒業後は、日本で働くことはあまり考えていないようだ。
「リノもレイも『やる』と決めたら何を言っても聞かないので、将来は彼女たち自身に任せています。海外生活を経験したことで、世界は大きいようで小さい。広いようで狭い、どこにでも行けるという感覚が身についたのだと思います」(佳子)
シンガポールで生活した8年間で、思い出に残ったエピソードといえば、家族でアジア各国を旅行したこと。マレーシア、タイ、ベトナム、インドネシア、ネパール……。ヒマラヤの奥地で、世界最高峰のエベレストを間近で見たのは、家族の大切な思い出だという。
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「完璧な準備などいらない。まずは一歩踏み出して!」
多民族国家シンガポールでの生活、そして、近隣諸国への旅を重ねるなかで、家族全員が「人は違って当たり前」という感覚を自然と身につけた。国籍、宗教、肌の色——それよりも目の前の個人を尊重する。固定観念、バイアスを持たない、それが、海外生活が教えてくれた家族共通の財産だと佳子は考えている。
「私は、海外で子育てをしたことを心からよかったと思っています。子どもたちは広い視野を持ち、他人に対してバイアスを持たないように育ってくれました。そして、自分のフィールドとして世界を見ている。それは、これからの社会を生きていくうえで大きな強みになることに間違いありません。これから海外に出ようと考えているご家族にアドバイスできるとすれば、『完璧な準備などいらない。まずは一歩踏み出して!』ということに尽きます。どんな場所にも、必ず助けてくれる人がいます。世界中の多くの都市には日本人コミュニティもあります。みんな本当に親切です。私も現地ネットワークに本当に助けられました。大切なのは、まず行動すること。家族で海外生活をするという人生の貴重なチャンスを思いきり楽しんでください」
「ママはシンガポールに行くけど、どうする?」から始まった海外生活は、家族一人ひとりの人生を確実に変えた。これからは、家族の海外駐在を女性が主導していくスタイルも増えるだろう。佳子のアドバイスにもあるように、「行動すること」こそが、人生をシフトする第一歩なのだ。
自分のルーツを理解し大切にすることで、 他者との違いを尊重する姿勢が身についた(長女リノさん)

——シンガポールのインターナショナルスクールでは、どのようなスキルや意識が身につきましたか?
シンガポールは、多民族・多文化社会です。インターナショナルスクールでは、世界中から集まった同級生たちと一緒に学ぶことが多く、異なる文化や価値観を尊重し、理解する力が身につきます。このような環境に身を置くことで、自身の思考に柔軟性を持たせることが可能になりますし、自然とグローバルへとも視野が広がります。 また英語力を上げるには、日常的に英語を使う環境に身を置くことが一番効果的だと思います。英語を身につけると、国際的なネットワークの構築や、将来的な仕事やキャリアにおいて選択肢が大幅に広がります。 プロジェクトベースの学習やディスカッション中心の授業は、自分の意見をしっかりと持ち、それを表現する力が身につくと思います。
——長期にわたり海外で生活し、現地コミュニティで学んだ経験は、現在の生活や仕事にどのような影響を与えていると思いますか?
例えばですが、職場で相手の立場を尊重しながらコミュニケーションを取ることができ、対話の中から新たな視点を得ることができていると感じます。
また、さまざまな価値観や文化に触れる中で、自然と「自分はどこから来たのか」「自分とは」という問いに向き合うようになりました。現地の人々が自分たちの言語や伝統、暮らしを大切にしている姿を見る中で、逆に日本人としての自分のルーツにも自然と目を向けるようになりました。自分のルーツを理解し大切にすることは、自分のアイデンティティをより明確に持ちながら、他者との違いを尊重できることにもつながります。これらのスキルは仕事をする上でよりよい環境づくりやチーム構築に欠かせない物となっていると感じます。
どこにいっても友達ができる。世界が広がっていく。(次女レイさん)

——シンガポールのインターナショナルスクールでは、どのようなスキルや意識が身につきましたか?
シンガポールはダイバーシティの国です。シンガポールには、シンガポール人、マレーシア人、インド系、ムスリムなど、さまざまな人種が集まっています。ビンドゥー教のお祭り「ディワリ」や旧正月の「ライオンダンス」など、それぞれの文化行事があり、誰もがフラットに楽しめる。枠がなく、誰でも参加できる環境です。オープンマインドで、いろいろな宗教や文化を学べました。人の目を気にしないで自由に発言したり、行動できたりすることがわかりました。
また、さまざまな人種の方と関わることで、「日本人とはなんだろう」と外から見る視点を持てました。日本には良い文化がありますし、食べ物も美味しいですね。
——長期にわたり海外で生活し、現地コミュニティで学んだ経験は、現在の生活にどのような影響を与えていると思いますか?
どこにいっても友達ができることがわかりました。知らなかったことを知ることで、もっと世界は広がります。
今一番仲よい友達は、パレスチナ人です。これまでの歴史や今の現状を捉えながらも前向きな姿を間近で見ています。世界は変わっていくし、希望があるなと感じますね。
また、出会う人みんな優しく、相手にリスペクトがあります。現在、イギリスの大学で学んでいますが、さらに多民族社会に触れ、世界がいっそう広がりました。日本を出て、呼吸がしやすくなったような感覚です。
英語を使えると、あっという間に友達ができます。英語がファーストランゲッジでないからこそ、みんなお互いの発言をちゃんと聞こうとする姿勢があり、それがとてもそれが嬉しいです。
今、日本で高校を卒業し、海外に改めて出て、自分がもっと自立しなければ、と思うようになりました。
自分の中ではシンガポールにいた思い出が強すぎて、日本に帰ってきた時に、なんとなく日本に違和感を感じていました。しかし、改めて、また海外で暮らすようになると、日本を外から客観的に見ることができるようになった気がします。こちらの友達から、日本って素晴らしい国だね、と言われると、「えー、海外の人ってそんな風に見てるんだ」と逆に気付かされました。中にいると見えないことが、外から見ると見えるようになる。これからも意識していきたいし、複数の視点を持つことで、自分の可能性にもチャレンジできる人間になりたいと思っています。






