最近、海外の大学医学部に進学する日本人学生が増えている。特にヨーロッパ圏で留学生を受け入れている大学が多く、日本国内に海外の医学部受験専門の窓口を設けている場合もあるという。高校3年間をスイスで過ごし、現在はチェコ共和国の国立マサリク大学医学部に通う山岡里沙さんに最新の海外の大学医学部進学事情を聞いた。
(取材・執筆:ミニマル丸茂健一)
.jpeg)
注目される海外の大学医学部への進学
少子化の影響で、一般的に大学に入りやすい時代になったといわれる昨今の日本において、国内の大学医学部受験は、いまだに「超難関」として受験生の大きな壁となっている。その注目度は、むしろ上がっており、文部科学省が発表した2024年度入試の医学部医学科受験者数は12万102人。なかでも女性の受験者数は5万2,298人で2019年度以降では最多となった。
国公立大学の医学部では、大学入学共通テスト(以下、共通テスト)で英語、数学ⅠA・ⅡB、理科2科目(物理・化学・生物から選択)、国語、社会1科目の5教科7科目の受験が基本となる。受験生たちは、ここに向けて医学部専門の予備校に通い、準備を進めるが、これは、海外の教育という環境で学んできた海外子女たちにとって、高いハードルになっている。
医師不足が叫ばれる昨今、「医師になりたい!」という強い意志を持った若者が、受験制度の壁に阻まれるのは大変残念だ。もちろん、医師になるには、最終的に難しい国家試験を受け、それをクリアすることになる。しかし、入学の段階で、受験テクニックの戦いに翻弄されるのは、どこか納得いかない……という受験生も少なくない。

そこで近年、注目されるのが、海外の大学医学部への進学だ。例えば、ヨーロッパ主要国の大学医学部を卒業し、EU圏内で有効な医師免許を取得すれば、EU加盟国で医師として活躍する道が拓かれる。もちろん、その後、日本の医師国家試験に合格すれば、日本の医師免許も取得できる。チェコ共和国(以下、チェコ)の国立マサリク大学医学部に通う山岡里沙さんも海外の医学部進学という道を選択した海外子女のひとりだ。
スイス公文学園高等部からチェコの国立大学医学部へ
「親族に医療従事者が多く、小学生の頃から“お医者さん”になりたいと思っていました。当時、『コウノドリ』というドラマが人気で、産科にまつわるさまざまな問題を知り、それを解決する医師に憧れたのもあります。私は海外の高校に通っていたので、日本の大学受験に特化した勉強をしていませんでした。そんなとき、卒業生によるチェコの医大進学の話を聞き、英語で理科を学ぶだけでなく、解剖学の一部を先取りしたり、チェコ語の単位を取得したりできる『予備コース(ファウンデーションコース/詳細は後述)』の存在を知りました。そこで、高校卒業後に日本の医大に入るためだけの受験勉強で浪人するより、そのまま将来必要になる勉強ができるチェコの医大の予備コースで、価値のある浪人生活を送る道を選びました」

山岡さんが通っていたのは、スイス・レザンにある「スイス公文学園高等部」。文部科学省認定の私立在外教育施設として知られる全寮制高等学校だ。幼稚園の頃から公文式に通っていたという山岡さん。家族で海外旅行をする機会も多かったことから、小学生の頃から、「スイスに公文式の学校がある」と聞かされていたという。
「小学生の頃から勉強は得意だった」という山岡さん。しかし、通っていた国立の小・中学校には、さらに勉強熱心な児童が多く、どこか居心地の悪さを感じていた。そこで、「高校は普通と違うところに進学したい」と考え、スイスの全寮制高校への留学を決意した。
「スイス公文学園高等部は、学力より人間性が重視される教育方針で、生徒たちはわりと自由に個々の興味・関心のあることに取り組んでいました。私には、この自由な環境が合っていたと思います。大学進学にあたり、医学部を考えたものの5教科7科目の受験対策をするのは難しく、日本での浪人も検討していました。英語は得意でしたが、国際系学部への進学には違和感があり、どうしても医療系に進みたい……そんなときに、学校の進学イベントで卒業生の講演を聞き、チェコの医学部進学という選択肢を知ったのです」

予備コースの入試は「英語」+「理科2科目」のみ
チェコの医学部を調べると日本国内にチェコとハンガリーの国立大学医学部進学を統括する事務局があり、そこに出願をすることがわかった。チェコには、3つの国立大学医学部があり、それぞれ出願条件は異なる。そこで、山岡さんは事前にスイスからチェコ国内の2大学を訪れ、現地の様子を調べたという。
調べを進めるとチェコ、ハンガリーのほかにもイタリア、ドイツ、ルーマニア、ブルガリアなどの医学部進学という選択肢があることもわかった。そのなかで、費用や世界ランク、現地の治安なども検討し、最終的にチェコの国立マサリク大学医学部を選んだ。
.jpeg)
マサリク大学医学部は、EU圏内で有効な医師免許が取得できることで知られている。無事に卒業し、医師免許を取得できれば、EU圏内のどこでも働くことができる。もちろん、前述の通り、日本の医師国家試験に合格すれば、日本国内でも医師として活躍することができる。病院での実習のために、英語だけでなく、チェコ語の医師専門用語を覚える必要があるなど、海外特有のハードルはあるが、「将来の選択肢が増える」と父親も大賛成してくれた。
マサリク大学があるのは、チェコ第2の都市・ブルノ。プラハほどの古都ではなく、どちらかといえば、近代的なビルが建ち並ぶ便利な街だ。山岡さんは、現地を訪れ、近代的な校舎を見て、「ここで大学生活を送りたい」と思ったという。

「欧米の大学に共通するのですが、マサリク大学医学部は、入学は比較的簡単で、卒業が難しいのが特徴です。留学生は基本的に、予備コースを目指すことになります。予備コースの入試は、①理科3科目のうち2科目と②英語の計3科目の筆記試験と面接のみ。しかも英語の試験は、IELTS5.0程度でパスすることができます。私は、化学・物理の2科目で受験しました」
マサリク大学医学部予備コースに現役で合格
2023年5月にスイス公文学園高等部を卒業した山岡さんは、同年10月から翌2024年4月までマサリク大学医学部の予備コースの入試にみごと合格した。日本の大学入学共通テスト(以下、共通テスト)との比較は難しいが、チェコの入試も簡単ではない。山岡さんも入学後に理科2科目の得点を聞くと決して高いものではなかったという。
「これは私の見解ですが、予備コースに入る段階では、入試で獲得した点数より、面接における人柄を重視しているように思えました。聞いている限り、筆記試験の内容は、日本の高校で学ぶ理科の基礎にあたる問題が多いので、医大受験に向けての対策をしてきた人には、それほど高いハードルではないと思います。出題傾向としては、共通テストのように応用問題の対策をするより、基礎を固めることが必要かと思います」
日本の事務局で行われる入試では、面接があるのもポイントだ。当日の筆記試験終了後、その場で面接に進めるかどうかがわかる。面接は15分。面接官は、日本人3名と英語話者1名の計4名。英語、日本語を交えて、以下のような内容を聞かれたという。
【面接の質問内容】
(1)なぜマサリク大学に入学しようと思ったのか?
(2)通っていた高校の公用語は?
(3)毎日相当な勉強が必要だが、耐えていけるか?
(4)卒業後、日本と海外で勤務先はどうするつもりか?
(5)改めて医師になりたいと思う理由は?
(6)自分は、親離れできているか?
(7)チェコを選んだ理由は?
1年次の前期から毎週解剖実習がスタート
面接をパスした山岡さんは、無事、チェコでの学生生活をスタートした。予備コースで学ぶのは、高校までの理科と英語が基本。特に難しいことはなかったという。そして、2024年9月に正式にマサリク大学医学部に入学した。チェコの大学医学部は、日本と同様で6年制。ここに予備コース1年を加えて、計7年間の課程となる。ただし、留学生でも基礎的な語学力と理科の素養があれば、予備コースをパスして、6年間で卒業することも可能だ。海外の高校で学んできた人は、予備コースなしで入学するケースも多いという。予備コースの最終出願は、毎年3月20日前後。日本の私立大学医学部受験の結果を経て、出願することも可能だ。
「昨年(2024年)9月に入学して、やっと前期が終わったところです。とにかく、知識が足りない状態からのスタートだったので、入学後も勉強勉強の日々が続いています。授業は英語が基本ですが、現地の病院での実習に備えてチェコ語の授業もあります。学生は地元チェコ人のほか、イタリア、スペイン、中東の国々からの留学生が多いと思います。アジア系は日本人がメインです。ちなみに、チェコ人にとっても医学部は難関で、合格すると6年間の学費は無償だそうです」

授業は多くて1日3コマ。1科目が3時間続くこともある。授業スタイルは日本と同様で、大教室の講義と少人数の演習科目がある。日本の医学部と大きく違うのは、アナトミー(解剖学)などの実習だ。日本の大学では、早くても1年次の後期から、通常は2年次に解剖実習があり、1体の献体を複数の学生が数回に分けて、解剖していく。
「チェコの大学では、1年次の前期からいきなり解剖実習が始まります。しかも毎週、解剖学に関する授業があり、部位ごとに献体を繰り返して見る機会があります。1体の献体を数週間かけて解剖する日本の大学とは、解剖学に対する考え方が異なると思います。解剖実習の機会が多いことで、将来的な実践力が身につくので学生としては有意義だと思います」
.jpeg)
山岡さんは現在、大学から徒歩2~3分の場所にあるアパートで暮らしている。1限があるときは、朝6時30分に起床し、7時台から始まる授業を受ける。そして、15時くらいまで授業を受け、帰宅後は、自宅でその日の復習と翌日の予習をする。宿題はほぼないが、予習は必須だ。学生たちは、予習用の動画を見て、その知識が頭に入っていることを前提として授業に参加する。科目によっては、英語で教員からの課題に答える場面もあり、スイス公文学園高等部で鍛えた英語力が生かされることもあるという。
「座学の講義は、海外生活を経験してきた人なら問題なく受けられます。ただ、授業では毎回新しい専門用語を覚えることになるので、英語力はそこまで影響しないのも事実です。講義はほとんどが“わからない”が前提で、復習していくうちに少しずつ理解していく、また少し経つと英語耳になって聞き取れる量も増えていくという感じです」

将来の夢はEUと日本のダブルライセンスを取得すること
山岡さんにとって、チェコのマサリク大学医学部卒業後の夢は、日本の医師免許を取得して、ダブルライセンスになること。日本でも医師として働けるステータスを維持した上で、ドイツの病院で働くのが目標だという。政治的にも経済的にも安定しているドイツで先端医療を学び、キャリアを積んで行くイメージだ。
「4年次からの臨床実習では、海外の病院を選ぶことも可能です。この制度を利用して、私は日本の病院で実習を受けてみたいと思っています。ただ、その前の3年間の座学中心の授業が難関です。ここで留年する学生も多いので、気が抜けません。もちろん、何度か留年を繰り返せば、退学になります。ストレートで卒業できる学生は、約半数だと聞いています。入試のハードルが低い分、ここは頑張りどころです」
医学部進学の夢を諦めず、単身チェコへの留学を決意した山岡さん。週末も予習・復習をする日々が続くが、学生生活は充実しているという。チェコの国立大学医学部は、IT化も進んでおり、EU諸国と同じレベルの教育が受けられる。そのわりに物価は多少安めで暮らしやすいというメリットもある。授業料と生活費は年間400~500万円程度。日本の私立医学部に通うのと比較しても検討の余地はあるだろう。
「チェコの医大を卒業後、チェコで医師を続ける留学生はあまりいないと聞いています。EUの医師免許を取得し、最新医療を学べる環境でキャリアを積んでいく人が多いようです。周囲からのアドバイスを受け、私も現在の日本の政治・経済の状況を踏まえると日本の医師免許を持つより、EU圏の医師免許を取ることに価値があると考えています。在学中に考えが変われば、卒業後にアメリカの医師免許取得に向けて勉強する道もあります。一方で、日本の大学卒業後に、海外で医師免許を取るのは、海外大学を卒業してから日本の医師免許を取るより難しいのが実状だと聞いています」
最後に山岡さんから、海外医学部受験に興味がある海外子女と保護者に向けてメッセージをもらった。
「日本の医学部受験を経験して、海外に来た学生は、やはり知識のレベルは高いです。ただ、入学後の勉強次第でそこは十分に追いつけると実感しています。海外で学んだ経験がある人は、語学面でアドバンテージがあることも大きいでしょう。英語+理科2科目で目指せる医学部受験の新たな選択肢があることをもっと広く知ってもらいたいですね」