小学4年生から中学2年生までの約5年間をアメリカで過ごした金子将也さん。その頃に始めた筋トレやスポーツに大きな影響を受けたという。帰国後はパワーリフティングにも挑戦し、大学時代には世界ジュニア選手権大会で種目別(ベンチプレス)第3位に輝いた。現在もトレーニングを続けながら、北海道のテレビ局で記者として活躍している金子さんに、海外経験やスポーツ経験によって培われた力について話を聞いた。
(取材・構成:ミニマル市川茜)
■金子さんは子どもの頃にアメリカで暮らしていたとうかがっています。当時の生活についてお聞かせください。
小学校4年生のときに家族とアメリカへ渡り、5年間ほど暮らしていました。英語が全く話せない状態で現地校に通い始めたので、最初は友達ができずに苦しい思いをしました。最初の2年間は、クラスの隅っこで全然喋らない日々を過ごしていました。
そんな僕が友達と打ち解けられたきっかけは、スポーツでした。アメリカのスポーツはシーズン制のため、季節ごとに複数の競技をこなすのが一般的です。僕自身も野球、アメリカンフットボール(以下アメフト)、レスリングの3つの競技を始め、スポーツを通して友達とコミュニケーションを取れるようになりました。
もともと目立ちたがり屋で人を笑わせるのが好きな性格も影響したと思いますが、友達ができたことで英語力も自然と上達していったように思います。
■もともとスポーツは好きだったのでしょうか?
小さい頃から野球をはじめとするスポーツ選手に憧れがあり、渡米前から野球をやっていました。
筋トレに本格的に取り組むようになったのは、アメリカで生活し始めてからです。当時アメフトをやっていた兄が、自宅の地下にジム設備をつくったんです。そんな兄の影響で、一緒にトレーニングをするようになりました。
■アメリカ生活で、特に印象に残っていることを教えてください。
スポーツ面では、とにかく悔しい思いをしました。アメリカ人の友達と比べると自分はすごく小さくて、そのフィジカルに圧倒されました。なかでもアメフトやレスリングでは、自分の小さい身体では通用しないことを思い知らされましたね。それでも僕は負けず嫌いなので、試合やトレーニングには全力で打ち込んでいました。
また、アメリカの学校の夏休みは2~3カ月ほどあるのですが、その間はとにかく活発に遊びまわっていました。自宅でバーベキューをしたり、近所のコミュニティプールや野球場に出かけたり、友達の家に泊まってパーティをしたり……。そんな毎日を過ごしたのもいい思い出です。
■帰国後にパワーリフティングも始められていますが、どんなきっかけがあったのでしょうか?
帰国した後もアメフトを続けたいと思っていたのですが、進学した高校にはアメフト部がなかったんですね。そこで身体を鍛える目的も兼ねて、野球部に入りました。
野球部のメンバーと一緒に筋トレをしていると、周りと比べて自分は重量を上げられることにふと気づいたんです。そこに可能性を感じ、自分の強みを活かせそうなパワーリフティングへの挑戦を決めました。
■実際にパワーリフティングを始めてみて、手応えはいかがでしたか?
高校3年生のときに、初めてパワーリフティングの大会に出場しました。パワーリフティングの大会に野球部員が1人で出場するというアウェイな状況ながらも、全国2位という結果を残すことができました。
全国大会で2位を獲れた瞬間は、何より嬉しかったですね。それまで僕は野球も特別上手くはないし、アメフトでも体格差に圧倒されてと悔しい思いをしてばかりだったので、この競技は今後も絶対に続けていこうと決めました。
■大学時代には、世界大会にも出場したとお聞きしています。
高校卒業後は青山学院大学に進学し、アメフト部とパワーリフティング部の2つに所属していました。アメフトの練習で鍛えられる柔軟性や瞬発力はパワーリフティングにおける身体の使い方にも通用する部分があり、結果的にいい相互作用がありました。
大学3年生のときに出場した「世界サブジュニア・ジュニアパワーリフティング選手権2021」では、種目別3位で表彰台に上がることができました。
実は、当時はコロナ禍の影響で日本パワーリフティング協会からの支援を受けられず世界大会への参加が難しい状態にあったんです。しかし、ならば自分で交渉してみようと主催者に連絡を取ったり、現地でコーチを探してサポートを依頼したりして、無事に世界大会出場が叶いました。 物怖じせずにアクションを起こし、諦めずに粘る姿勢は、子どもの頃から変わってないなと思いますね(笑)。
■今、されているお仕事の内容について教えてください。
北海道放送(HBC)の報道部で記者をしています。現地取材をしてアナウンサーが読み上げる原稿を書いたり、番組の特集や中継で流れるレポートを行ったりするのが主な仕事です。Webサイトに掲載するデジタルニュースの原稿を書くこともあります。
北海道放送はTBS系列のテレビ局です。大きな事件や話題のトピックスのレポートを担当したときには、キー局のTBSや系列28社で全国放送されることもあり、やりがいがあります。
■お仕事をするうえで、普段から心がけていらっしゃることはありますか?
現地取材では、防犯カメラを見せてもらえないか打診したり、情報提供を依頼したりと初対面の方に依頼することがよくあります。
そのときには、なるべくリラックスして心を開いてもらえるような対応を心がけています。インタビューを受けてもらえるか、情報提供をしてもらえるかは、こちらの人柄や印象に左右される部分も大きいと感じています。
■印象に残っているお仕事があればお聞かせください。
昨年パワーリフティングの世界大会に出場した際、それをテーマに「新人記者がパワーリフティング世界大会に挑む!」という特集を組んでもらいました。自分が取材を受けつつ制作もおこなうという、不思議で貴重な経験をさせてもらえて感謝しています。
■ご自身の海外経験やこれまで取り組んできたスポーツ経験が、お仕事に活かされている場面はありますか?
アメリカで生活した経験は、現地での取材に活かされていると感じています。
周りの同期を見ていると、取材相手に対しては適度な距離感を保っているように思います。それに対して、自分の場合は初対面でも緊張感なく、距離を縮めながらフランクに話を聞いていく取材スタイルです。アメリカでの生活が影響していると思うのですが、このスタイルは、記者としての強みになっています。
また、スポーツで鍛えたメンタルも仕事に活かされています。特に最後まで諦めずにやりきる力は、現地取材が難航しているときにもプラスに働いていますね。
たとえばインタビューの依頼を断られたとしても、すぐに引かずに会話を続けてみることも多いです。するとそこから話が広がって、新しい情報を得られることもあるんですよね。すぐに諦めずに粘ってみることで、次のチャンスにつながっていくことを実感しています。もちろんうまくいかない日や失敗することもありますが、落ち込まずに切り替えを心がけています。
■金子さんが人生のモットーとしていることは何ですか?
常に目標を持って毎日を生きることを意識しています。目標を掲げて達成していくことの重要性は、トレーニングにも仕事にも共通しています。小さな目標を達成していくことの積み重ねが、夢の実現や成長につながると考えています。
最近は2024年の秋に開催予定の国体でいい結果を残せるようメニューを組み、日々トレーニングに励んでいるところです。
■これからチャレンジしてみたいことや目標があればお聞かせください。
パワーリフティングの国体での入賞が直近の目標です。また、僕は3種目(スクワット・ベンチプレス・デッドリフト)のなかでもスクワットが得意なこともあり、将来的にはスクワットで日本記録を更新したいと思っています。
記者の仕事でいえば、高校・大学と英語ばかり聞き話していた環境から、日本語を磨き日本語で伝えるという新たな挑戦がいい刺激になっています。
一方で、英語を使う機会が減った分、英語力が落ちているのではないかという焦りも感じています。就職活動で北海道放送を志望した背景には、国内外の試合中継やアスリートの取材がしたいという思いがありました。今後はこれまで伸ばしてきた英語力を活かして、よりグローバルな仕事にも挑戦できればうれしいですね。
【プロフィール】 金子将也さん 子ども時代の5年間をアメリカで過ごし、中学2年生のときに帰国。進学した国際基督教大学高等学校在学時にパワーリフティングと出会う。大学時代に出場した「世界サブジュニア・ジュニアパワーリフティング選手権2021」では種目別(ベンチプレス)で銅メダルを獲得した。2023年に青山学院大学を卒業した後は、北海道放送(HBC)に入社。パワーリフティングを続けながら報道部の記者として活躍している。