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2024年2月5日
特集

「飛び出す」帰国教師たち①

 在外校に派遣された教師たちは、現地でさまざまな経験を積んで、数年後日本各地の地元に戻っていく。帰国後は、担任の子どもたちに海外体験を語ったり、経験をもとに新しい授業をつくったり、国際理解教育や外国語教育を担当したり、それぞれの場所で次の活動をはじめる。  

 

なかには、授業や学校という枠組みから飛び出し、地域社会や行政にかかわっていくケースもある。今回の特集は前・後編に分けて、教室を飛び出した教師たちの「今」を見つめた。在外校勤務の経験が今の仕事にどのように結びついているのか。これからどんなことをしようとしているのか——。 

 

今回は、若き日の誓いを地域で実現しさらに次代の教師を育てるために大学の教壇に立つ松井聰さん(千葉県)、地方都市における国際交流の新しいスタイルを開拓し高校を軸とした地域活性化に取り組む尾﨑靖司さん(高知県)の、ふたつのライフストーリーをお届けする。

 

「ここに負けない学校をつくる」  

松井聰(まついさとし)さん

いろはの「い」がひらめいた

千葉県の公立中学校教員だった松井聰さんが在外校派遣を目指したのは30代前半だった。ビジネスマンとして国内外で活躍する父の姿にあこがれを抱いて育ち、地球のあちこちを旅してまわり、国際理解教育の勉強会にも参加していた。「海外通」を自認し、どこでも行くぞと意欲まんまんだった松井さんが受け取った配属通知は、飛行機でわずか数時間の台湾・高雄。正直なところ「近いなあ」といささか拍子抜けの思いをかかえながら、1998年春に着任した。

 

高雄日本人学校は全校で約200人、各学年1クラス。日本企業の駐在員、国際結婚家庭の子どもなどが混在していた。素直で前向きな子どもばかりだったが、一方で少人数ならではの人間関係の難しさも感じた。日本人学校は、現地の日本人社会のよりどころでもある。教師が子どもたちに与える影響は大きい、と、身が引き締まる思いがした。

 

中学部と小学校6年生の社会科を教えた。小さな学校は何でも兼任だから、中学部男子の体育も、サッカーで鍛えた松井さんの担当だった。

 

担任していた中学校1年生の子どもたちと、かねてから実践していた「社会科体操」を現地でも実施した。地球の緯度・経度、大陸と海、世界の山・川などの地理の重要語句を散りばめた歌に合わせて、直感的にその位置や形、スケールを示す振りで踊っていく。

 

退屈な暗記項目が歌って踊って楽しく覚えられるのだから、子どもたちは大喜びだ。日本語が苦手な子も、目を輝かせて一緒に楽しんでいた。翌年、歴史の分野に入ると「先生、歴史のバージョンはないの?」とリクエストされる。「歴史の流れをいろは歌にあてはめたらどうか」とひらめき、まず「い」を「一万年前、日本列島現れる」とうたってみた。

 

「ことばが湧き出てくるようでした。いろはの順に歴史を進めないといけないので苦労しましたが」

 

社会科体操「これでバッ地理」、歴史かるた「いろはde歴史」、 公民数え唄「公民1・2・3」の三部作が完成。批判的な意見もあったが、子どもたちの社会科の成績は急上昇。国内の中学生対象の模試でも好成績をおさめるまでになった。

 

「社会科では考えることが重視され、暗記は軽視されがちです。でも、まずベースとなる知識を最低限覚えていないと、考えることはできないでしょう」

 

思いがけないことも起きた。子どもたちが自宅やスクールバスの中で社会科体操を披露して広がり、低学年の子どもたちも歌って踊るようになったのだ。

 

「日本人学校のいいところですね。小学校1年生から中学校3年生までが同じ学校で、上の子たちが自然に下の子たちを教えるようになる。下の子はあこがれるし、上の子たちはかっこよくしようと頑張ります。すると、みんな伸びていく」

 

子どもも、保護者も、教職員も、ボランティアも、みんなが大好きな学校。その学校にかかわったことがあるというだけで、直接面識がなくても一体感を持てる、地域のアイデンティティとなっている学校。その姿は、それまで松井さんがかかわってきた公立中学校とは大きく違っていた。松井さんは「高雄日本人学校は最高の学校。日本に帰ったら、ここに負けない学校をつくる」と誓って帰国した。

高雄日本人学校時代の松井さん

 

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