2024年1月23日
特集

親子で豊かな日本語を味わおう。日本の伝統遊び「かるた」の魅力

定番のいろはかるたや百人一首をはじめ、時代を越えて親しまれてきた「かるた」。日本の伝統遊戯として今日まで受け継がれてきた背景には、どんな理由があるのでしょうか? 今回は、奥野かるた店の3代目店主・奥野誠子(ともこ)さんに、かるたの歴史とその魅力についてインタビュー。合わせて、親子で遊ぶのにおすすめのかるたをお聞きしました。

(取材・執筆:ミニマル市川茜)

 


「ポルトガルのカードゲーム」+「日本の伝統文化」で、カルタが誕生

今回お話を聞いたのは、奥野かるた店の3代目店主・奥野誠子さんです。奥野かるた店は、かるたや花札、トランプといったカードゲームに加え、囲碁や将棋などを扱う問屋「奥野一香商店」として1921年に創業。「かるたの魅力をより多くの方に知ってもらいたい」という思いから、奥野さんの父が屋号を「奥野商店」から「奥野かるた店」に改め、今に至ります。

創業1921年の奥野かるた店。1979年より神保町の現店舗で営業中

「そもそもかるたは、カードを意味するポルトガル語『carta』が由来です」

奥野さんによれば「かるた(carta)」は16世紀半ば、種子島に異国船が漂着した頃に日本に伝わりました。当時のかるたは現代のような読み札・取り札に分かれたものではなく、今でいうトランプのようなものでした。

 

かるたが読札・取札に分かれるようになったのは、「貝覆い(かいおおい)」という元々日本にあった遊びが影響しています。蛤などの二枚貝は、最初に組になっていた貝以外とは決して合わないようにできています。その特性を活かして、ペアとなる貝殻を見つけるという遊びが「貝覆い」です。当初は貝殻の模様だけを見て判別していましたが、時代が進み、貝殻の内側に和歌や絵を描くようになりました。なかでも知られているのが「小倉百人一首」です。

 

「小倉百人一首」は鎌倉時代、藤原定家によって編纂(へんさん)されたことで有名です。これは宇都宮頼綱という武士に依頼され、京都の小倉山荘で選んだもので、当初は襖(ふすま)に色紙を貼ることが目的でした。

 

つまり、当時は和歌をカードに記していたわけではありません。カード式の百人一首歌かるたが成立したのは、江戸時代頃のことです。

 

かるたは海外のカードゲームをきっかけに、日本で独自の発展を遂げてきたのです。

 

子どもも遊べる「いろはかるた」が広まった江戸時代

奥野かるた店2階で展示されている江戸時代の百人一首

江戸時代に入ると、百人一首に加え、“犬も歩けば棒に当たる”でお馴染みの「いろはかるた」や「花札」が登場。特にいろはかるたは、遊びながら言葉や文字を覚えられることから、大人だけでなく子ども達の間にも広まっていきました。  

 

「今でこそ、子ども向けのおもちゃは年齢別に多様なものが販売されていますが、当時の遊戯には子ども向け・大人向けという区別はありませんでした。その代わり、年齢に合わせて遊び方を変えることで、子どもも一緒に遊んでいたんです。囲碁でいえば五目並べ、将棋でいえばまわり将棋のようなものです。カルタも同じで、江戸時代から大人も子どもも一緒に遊べる遊戯でした」  

 

明治時代には、ジャーナリストで翻訳者としても活躍した黒岩涙香が、競技のルールを統一。「競技かるた」が確立されたことで、より庶民的な遊戯として広まっていきました。 

 

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