つねにメキシコを感じながら
(取材・執筆:只木 良枝)
画家の祖父は、長くメキシコと日本を往来して生涯メキシコの絵を描き続けた。陶芸家の父も若くしてメキシコに渡り、現地に住み着いて作品を制作していた。父の暮らす町にバックパッカーとして訪れたのが当時大学生だった母。ふたりはやがてメキシコで家族になり、そこに生まれたのが伊藤大地さんだ。
メキシコシティから車で数時間の距離にあるゲレロ州の田舎町では、ちょっと裕福な家の人なら、出産のために2時間かけて都会の病院に行くのが当たり前だという。そんな町で、誕生間もない伊藤さんは赤痢にかかった。どうやら沐浴に使った水が汚染されていたらしい。サソリもタランチュラもいる。外国人の若い夫婦の子育てには、いささか厳しすぎる環境だった。
「現地では、生まれた子ども全員が健康に育つことはないというのが常識。母は、さすがにこれは、と思ったみたいです」
2年半ほど頑張ったが、祖父の勧めもあって、愛知県にアトリエを建てて帰国することになった。
「当時の記憶はほとんど残っていない」という伊藤さん。しかし、祖父は相変わらずメキシコに通って絵を描いていたし、父の陶芸作品のモチーフにもなる。家族にとって身近で大切な場所として、意識の中に、生活の中に、つねにメキシコはあった。記憶はなくても、メキシコは伊藤さんの一部になっている。ちなみに、得意料理はタコスだという。
中学時代に兵庫県三田市に引っ越し、大学では建築学を学んだ。建築も楽しかったが、それ以上に、友人の影響ではじめた映像制作が面白くなった。
卒業後、将来を決めあぐねていた伊藤さんに、両親の知人であるアメリカ人アーティストが「映像に興味があるなら、私のところに来なさい」と誘ってくれた。生まれてはじめて親元を離れてニューオリンズへ。3カ月間イベントの手伝いなどをしながら、「これから自分は何をつくるのか」を、ひとりでじっくりと考えた。
帰国後、映像制作のワークフローを現場で学ぼうとテレビ番組の制作会社に入社。テレビドキュメンタリーなどを次々に手がけた。実務経験をつんだ手ごたえを得て2020年の年末に独立、フリーランスになった。