2023年10月10日
家族/クロスカルチャー

家族4人、それぞれのアムステルダム【前編】

「女王の日」(当時)にオレンジ色の服を着て

アメリカで小学校、中学校時代を過ごした貴教(たかのり)と真紀(まき)。結婚15年後、貴教の海外駐在が決まったが、二人の思いは少し違っていた。 自分の海外生活の経験が根っこにある貴教と真紀。長男裕哉(ゆうや)、次男達哉(たつや)との4人の海外生活はどのようなものだったのだろうか。(名前は仮名)

(取材・執筆:高田和子)
 

不安だった子連れ駐在

貴教と真紀はアメリカの補習授業校で同級生。日本に帰国した後も同じ高校に通った。大学卒業後、貴教は商社に、美術史を専攻していた真紀は美術展の企画会社に勤務した。そして1997年に結婚。

 

「夫は、自分がアメリカで送ったような生活を家族で経験したいと思って商社に入りました。だから、何を決めるにも、海外駐在に出ることがいつも前提にありました」と真紀。

 

そして2012年、裕哉が小5、達哉が小4の時に貴教念願の海外駐在が決まった。赴任地はオランダ・アムステルダムだ。美術に造詣が深い真紀はオランダには行きたいと思ったが、子供を連れて外国に住むのは不安だった。

 

「行くと決まった頃から、裕哉は毎日お腹を下すようになりました。日本の学校が楽しかったし、友達と別れるのも辛かったのだと思います」

 

心配した真紀がスクールカウンセラーに相談したところ、「もしかしたら、一番不安なのはお母さんじゃないのですか。その不安が子供に伝わっているのではないでしょうか」と言われた。

その通りだった。自分自身は子どもの頃アメリカでの生活に馴染めなかったのに、今度は、自分が頑張るだけではなく、子どもたちをサポートして頑張らせなくてはならないのだから。

そのときカウンセラーが、「あなたのお母さんは英語ができなかったからあなたが困っていても助けられなかったけれど、あなたは英語ができるから、子供が困っていたら先生に伝えることができますよね。状況が違うのだから、もう少し前向きに考えてもいいのではないですか」と言ってくれた。

 

オランダ人は大きい!

家族が引っ越したオランダは、九州とほぼ同じ面積、人口は東京都と横浜市を足したくらいの小さな国だ。運河に囲まれた市街地は世界遺産にもなっており、街並みが美しい。東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面している。

2月の朝8時。緯度が樺太と同じなので冬は夜明けが遅い。赴任した1月は、朝学校へ行く時間はまだ暗かったので、気も重かった

貴教は「飛行機で1時間飛べば、まったく異なる言語と文化をもつ国々があります。パン、ビール、チーズ、みな違います。これだけ近ければ、同一化してもおかしくはないと思いますが、そうはなりません。幼少期に暮らしたアメリカは、4時間飛行機に乗っても、時差が変わるだけで言葉は変わらない。チーズの種類もパンの種類も変わらない。学校ではアメリカの国旗の下、毎朝忠誠を誓います。『国家』という概念について改めて考えさせられました」と言う。

 

空港での感想は「オランダ人は大きい」だった。オランダ人の平均身長は世界一だ。真紀は空港のトイレに座ったら足が床につかなかったそうだ。

 

スペイン・バルセロナにて。車で2時間走ればもう違う国なので、休みのたびにあちこちへ旅行

住居は、大きな公園の近くにあるロウハウスに決めた。日本のテラスハウスのような家だ。周りは緑が豊かで、裏庭には時折キジやウサギがやってきた。治安もよかった。

 

オランダ人は皆フレンドリーだった。貴教は「エレベーターで見ず知らずの人にでも挨拶をすることに驚いた」という。

 

「隣家のおばあちゃまは英語がわからない方だったのですが、グーグルトランスレートで覚えた片言のオランダ語で『いつもうるさくてすみません』と伝えたら、身振りを交えて『大丈夫、私も同じだった』と言ってくれました。近所の方たちは皆、外国人に対しても寛容で親切な方ばかりでした」と真紀。

 

「Koningsdag(国王の日)」と呼ばれる国王誕生日には、人々がオランダのナショナルカラーであるオレンジ色の服をまとって祝う。店のデコレーションなどもオレンジ色になり街全体がオレンジ一色になるのも楽しい。その日は国中でフリーマーケットが催され、ショッピングモールのような人の多く集まる場所はもとより、自宅前の路上など、人々が思い思いの場所に店を開き、不用品などを売る。それが伝統なのだそうだ。

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