石田千尋さんは、ドイツ・デュッセルドルフのこどもホスピス「レーゲンボーゲンラント(虹の国)」で夕青(ゆうせい)くんを見送った。そこでは「今」を大切に生活することができた。そして今でも、ドイツに「仲間」がいることが石田さんの支えになっている。
そんなこどもホスピスを福井県にも作りたい。石田さんは9人の仲間達と「ふくいこどもホスピス」の開設を目指して立ち上がった。
(取材・執筆:髙田和子)
「おうちかえろか」
■新しい環境でいきなりお子さんが小児がん。そして病院での治療をやめて、こどもホスピスに移ることを受け入れるのは苦渋の決断だったと思います。どのような経緯で移動されたのですか。
2018年の9月9日に1歳半の夕青を連れて家族3人で渡独しました。夕青が小児がんを発症し入院したのは10月5日です。抗がん剤治療の日々は親子で病院に泊まり、休みの日々は家で過ごすという、入退院の繰り返しでした。一時的に髪が抜けたり吐き気がしたりするのは治療の経過で仕方ないと思っていました。
ところが、12月23日に家で急に鼻血がとまらなくなったのです。その日に緊急入院し、検査や治療の期間を経て12月31日に余命宣告されました。そのとき「こどもホスピス」を勧められたのですが「ドイツで治療ができないのならならアメリカでもロシアでも行きたい」と、ホスピスは選択肢から外しました。
他国への移動は現実的でなく、そのまま治療を続けましたが、抗がん剤は辛いだけで、夕青はぐたーっとなっていました。そんなある日、突然夕青が「おうちかえろか」とつぶやいたのです。
「おうちに帰りたいと思っているのならホスピスに行ったら」とまた勧められました。けれどもホスピスは「ただ亡くなるのを待つだけの所」と思っていたので行く気になれませんでした。
ところが、見学に行った夫が「保育園みたいな感じでむちゃくちゃよかったからすぐにでも移動しよう」と言ったのです。決めたのが1月4日で1月5日に受け入れてもらいました。
「今日、楽しかったね」
■こどもホスピス「レーゲンボーゲンラント」はどんなところでしたか。
緑豊かな普通の街の中にありました。敷地はとても広いです。私達の部屋の入口にはかわいいプレートが用意されていました。「『ゆうちゃんのお家』って書いてあるよ」と言って部屋に入ると、6人の看護師さんが待っていて「私たちはチームゆうせいです。看護師なのでいつでも何でも言ってください」と。みんなポロシャツで白衣の人は誰もいません。二人ペアで三交代、すごく安心でした。遊びの提案をしたりして生活を共にしてくれましたが、やってくれることは看護師目線です。
病院にいた時、夕青はプレイルームに行きたい時に「しゅっぱーつ!」と言っていたのです。でも12月に入ってから言わなくなっていました。ところがレーゲンボーゲンラントに着いた翌日、急に「しゅっぱーつ!」と言ったのです。久しぶりに縦に抱っこをしてプレイルームに行きました。
その夜、私は「今日パパとママと足型をとって遊んで楽しかったね」と話しかけていたのです。言った自分にびっくりしました。すごく感動しました。病院では夜中に背中をトントンして「『元気になったら』鉄道博物館に行こう」とか言っていたのです。
「人生に多くの日々を与えるのではなく、日々に多くの人生を与える」
■壁に、ホスピス活動の先駆けとなったイギリスの医師、シシリー・ソンダースのこの言葉が書かれていますね。まさにそういうことなのですね。
この施設の基本の考えです。ここは特別なことをやってくれる場所ではなく、普段の生活を一緒にしてくれる場所です。「この瞬間この瞬間を大切にするとはどういうことか」気づくことができました。
亡くなる前日、部屋は暖かいのに手が冷たくて。息子の前で泣いてはいけないと思って、夜中の3時ごろ、暗めの共有リビングでぼーっとしていたのです。するとスタッフの一人が「コーヒー飲む?」と聞いただけであとは何も言わず、私の斜め前にじっと座っていました。たまに目配せして、ただ一緒にいてくれたのです。1時間くらいそうしているうちに気持ちがおちつきました。その時のことはいまだに心に残っています。「ケアを受けている」って思わないうちにケアを受けていたのですね。
ホスピスに来た時は「治る」ことを諦めてはいませんでしたが、見送った時は「悔いなく見送れた」という感覚でした。
ドイツから福井へ、虹の橋を
■ふくいこどもホスピスを作ろうと思いたったのはどういう経緯ですか。
2019年1月10日に夕青を見送り、2月には帰国しました。ぼーっとして何もせずに暮らしていましたが、2年ほど経って「夕青は1年9カ月生きている間、多くの人にいろんなことを残してくれた。でも、私はそれより長い2年間を無駄に生きてしまった。このままでは夕青と会っても何も報告できない」と思いました。
レーゲンボーゲンラントには「お母さんの日」とか「お父さんの日」があり、同じ経験をした人と話ができるのです。「ドイツに行きたい」と思いましたが、9,000キロ離れているんですよね。「それなら自分で理想のホスピスをつくればいいんだ」と思いついたのです。
2021年3月19日の夕青の誕生日に、「ふくいこどもホスピス」のインスタグラムとフェイスブックを立ち上げました。すぐに現役の看護師さんを含む5人ほどから「一緒にやりたい」と。今はスタッフ10人です。
「こどもホスピス」を身近なものに
■「ふくいこどもホスピス」開設に向けて、今どのような活動をなさっているのですか。
まず「広報」です。夕青が入退院を繰り返していたとき、感染を避けるために外で遊べず、ずっと家に閉じこもって蒸し野菜ばかり食べさせていました。この段階でこどもホスピスに入っていたら安心して過ごせましたよね。
でも「こどもホスピス」がどんな所か知らなかったら勧められても行きません。だから病気でない状態の時からホスピスがどんなところか知ってほしいのです。
闘病中のこどもたちに、「楽しい時間を提供する」ことも大切にしています。
安心して遊べる一軒家を借りて、一時退院中のこどもなどを集めてクリスマスツリーを作ったり、宝探しゲームをしたりします。また、入院中のこどもたちにテーマを決めて絵を描いてもらい、それを集めて一つの絵にしてジグゾーパズルを作って楽しんでもらったりしています。
チャリティーマラソン大会もやります。闘病中のこどももゼッケンをつけて、歩いてもいい、車いすでもいい、足ふみでもいい、親が足を動かすのでもいい、と言う具合に。「福井からドイツまでの9,200km」を目標に設定し、1カ月間、皆の距離を足して、毎日走行報告を合計してSNSで報告していました。
こどもたちのかわいいところ、優しい所、強くてかっこいい所を感じてほしいのです。「かわいそう」だけだとこどもホスピスは受け入れられにくくなりますから。
夕虹は晴れの前兆
■ロゴが素敵ですね。
私が作ってデザイナーさんが仕上げてくれました。夕日と虹を表しています。夕青という名前は、日本海に夕日が沈むときの空とか海の青からつけました。「深さ」「やさしさ」「強さ」、そして「穏やかさ」を感じさせてくれる風景です。
虹はレーゲンボーゲンラントのロゴをもらってその精神を受け継ぐという意味です。「夕虹は翌日晴れる」といいますから、施設を利用した人が少しでも心が晴れやかになるといいなという思いを込めました。