2024年4月1日

大いなる愛の「悪ガキ」 牧 紳太郎 さん(Think Globally, Act Locallyの実践者)

(取材・執筆:只木良枝)  

 

「僕ね、いつも社会の不条理に怒っています。憤りが行動の原動力です」  

 

そう言う牧紳太郎さんは、快活でよく笑い、大きな声で話し、最新式のコンポストシステムを自慢し、こちらの話には「そうそう! それ!」と相槌を打ち、その場の空気をパッと明るくする人だ。時折「ちょっと図々しかったかなぁ」などと、照れながら気を配る。決して攻撃的な性格には見えない。  

 

話題が豊富であちこちに話が飛ぶので、聞いているうちに混乱して、だんだんこの人はいったい何をしている人だったっけ? と、わからなくなってくる。  

 

インタビューに訪れたのは、牧さんが勤務する兵庫県三木市にある農場。よく晴れた冬の午後、ビニールハウスの丘の道に車を停めて、その中であたたかい缶コーヒーをごちそうになりながら、話を聞いた。  

 

 

牧紳太郎さんは1972年東京生まれ。新聞記者の父の転勤で、小学校5年のときにエジプト・カイロへ引っ越し、日本人学校に編入した。  

 

「勉強嫌いの悪ガキでね、親父には叱られてばっかりでした。同級生は商社や銀行マンの家庭のいい子が多かったんだけど、僕と親友だけは別で、空手を習って欧米人と決闘してみたり、ピラミッドに登ったりして、今でも言えないような『悪いこと』をいっぱいしました」  

 

街を駆けまわっていた少年たちの目には、さまざまなものが映った。車もバイクも、信号は誰ひとり守らない。クラクションがそこら中でやかましく鳴り響いているのに、時間になると全員が手を止めて神に祈りを捧げるため、一転して街全体が静まりかえる。街角には、ストリートチルドレンや貧しい人々があちこちで物乞いをしている。テレビには、日本では目にする機会の少なかった様々な人種やハンディキャップを持つ人々が社会を構成する当たり前の風景のように出演している。「悪ガキ」の純粋な心に、世の中が多様であること、そして不条理や不平等が厳然として存在することが、実体験として深く刻まれていった。この経験がその後の自分のモノの考え方を形づくった、人間としてのベースが作られたと牧さんは振り返る。  

中学校3年で帰国、いじめのターゲットになりながらもエジプト仕込みの空手で逆襲、ここでも「暴れまわった」。高校時代はラグビーに熱中し、卒業後は自動車ディーラーに就職。営業マンとして最初の年は振るわず、周囲の大卒社員からバカにされて発奮した。仕事の合間を見つけて図書館に通い、消費者心理やマーケティングを独習。仕事の現場で試行錯誤を繰り返した結果、翌年から3年連続で若手営業マンの中で成績トップに。この時の頑張りが、自分に足らない点や勉強することの楽しさを知ることになり、大学進学を決意した。  

 

「親父は勉強しない僕に手を焼いていたので、大学に行くというととても喜んでくれました」  

ほどなく自宅にFAXが届いた。そこに父からの小論文の課題が送られてくる。少しでも遅れると電話で怒鳴られる。新聞記者による厳しい指導は、大学に合格するまで続いた。  

 

大学では経営学をみっちり学んだ。しかし卒業の年は就職氷河期、しかもすでに27歳だった牧さんは、しばらく苦しい日々を送った。

卒業式にて。右から二人目が牧さん
カイロ時代。父と

 

◆◆

 

2002年秋、インフルエンザで寝込んでいた日のことだ。ぼんやり眺めていたテレビでインタープリターという仕事を知る。自然と人間のつながりを教える、自然の案内人。「これだ!」とひらめいた。

 

「何しろ悪ガキだから遊びなら誰にも負けない。自然との付き合いには自信がありました」  

 

とはいえ、目指した自然学校の先生にすぐなれるわけはなく、自然学校や企業の環境保護活動のイベント等に片っ端から参加することに。そこから自動車メーカーの環境部につながりができて、2005年に開催された愛知万博(愛・地球博)でエコポイント実証実験パビリオンの環境教育スタッフとして採用され、最終的には運営ディレクターを任されることになった。  

 

このパビリオンの実験に参加した来場者は予想をはるかに上回る60万人。NHKニュースや地元ラジオ局の愛知万博コーナーに「環境クイズのお兄さん」としてレギュラー出演して人気者になった。  

 

会期中の180日間ぶっ続けで勤務し、万博閉幕後に長期休暇を取得した牧さんは、バングラデシュからインド、ネパール、タイ、カンボジアへの旅に出た。  

 

「万博の来場者に世界の環境問題を語っていたでしょう。その現場を自分の目で見たいと」  

 

発展途上国への工業支援の現場をたくさん見た。一方、エネルギーに乏しい山岳地帯の民族は、日本から伝えられた高地農業によって得られた農産物を、ソーラークッカーや家畜の糞尿からガスを発生させ煮炊きをしている。ミニマムでアースコンシャスな暮らし。様々な環境のなかで生きている人々に触れるうちに、牧さんの心の中に「工業支援より、まずお腹を満たす農業」という思いが固まっていく。帰国後、休職し全寮制の農業学校に入学した。    

ところが、白菜の苗を鉢に植え替える作業の実習中、広告代理店から電話が入る。愛知万博のエコポイント実証実験を国として推進することになり、その事務局として牧さんに来てほしいというのだ。2週間後、両手に収穫したばかりのトマトを抱え、泥のついたままの靴で東京汐留のオフィスへ。その後数年間は、エコポイント事業の立ち上げをはじめ農林水産省の広報施策や日本の農産物輸出促進事業などを手掛けた。  

 

2014年に「日本の農業を変えたい」と念願の農業法人に転職。最初は本社社長室で広報として働きながら、2018年大学院に進学。国内農業の発展の方法について研究し、2021年からはもっと土に近いところで仕事をしたくなり、兵庫県三木市の農場に赴任した。  

 

なんという目まぐるしく濃い人生なんだ、と感嘆しながら、それぞれの項目を時系列で整理してみると、全体構造が見えたような気がした。牧さんは、一見「様々なことをやっている人」「あちこちを渡り歩いている人」だ。しかし、牧さんの中では、やってきたことはすべてつながり、パズルのように縦にも横にも広がっている。  

 

たとえば、貧困、障碍者や外国人への差別、民族や宗教間対立、地球環境の問題……。  

 

牧さんは、それらを別々のものだと考えていないのだろう。どの問題にも根っこに当事者とそうでない者の間に立ちはだかる意識の不一致や不条理がある。そこに気づいてしまったら、もう、牧さんの中にいる「悪ガキ」がだまっていられなくなり、「よし、何とかしよう」と動きだすのだ。これは、大きな「悪ガキ」の大いなる愛ではないか。  
 

農場で一緒に汗を流す仲間たちと


◆◆◆ 

 

「こんな話、面白いですか? 話があっちこっち飛んじゃって、もう」  

 

笑いながら頭を掻く長身の牧さん。本社広報時代は、経営陣と並んだときに貫禄が出すぎないようにと黒髪にしていたが、農場に来てから染めるのをやめたという。  

 

「一時は体重も100キロを超えていたんですよ。でも、東京マラソンを走るって、子どもたちと約束しちゃったから」 と、また話題が飛ぶ。  

 

子どもたちというのは、ずっと支援と交流を続けているバングラデシュの元ストリートチルドレンが共同生活を送る学校の児童生徒たちだ。本格的に走るのは、ラグビーをやっていた高校時代以来30年ぶり。しかし、牧さんは1年半をかけてしっかり身体をつくりあげた。東京マラソン当日は、子どもたちからの応援メッセージが寄せ書きされた特製Tシャツを着た。「生まれ出た境遇を理由に人生を悲観しない、決して諦めない姿勢」を標榜した「We shall Overcome !!」と描かれたTシャツだ。モバイルカメラを装着し、動画中継しながら東京の街を走った。バングラデシュの学校では、リアルタイムで届く動画を映すパソコンの前に集まった子どもたちが手をたたき、声をからして声援を送った。 

 

 何千キロも離れた東京という知らない街のマラソンコースを、子どもたちは牧さんと一緒に走っている。この経験は、子どもたちの心にどんな灯をともしただろうか。 

 東京マラソンを走る牧さんを応援するバングラデシュの子どもたち  ※画像をクリックすると動画が流れます(音あり)

牧さんは今、毎日土を耕し、ハウスを見回り、野菜を出荷し、併設のキャンプ場の来場者とともに野菜を植え付け、収穫している。更に、日本の農業の持続可能な発展のために、次なるプロジェクトの芽も育て始めている。  

 

「今の日本の人口は1980年と同じ。ところが基幹的農業従事者は当時の1/8、しかも平均年齢68歳ですよ。これ、まずいでしょう。数年後には崩壊しますよ。なんでこんなに差し迫った問題なのに誰も気づかないんだって、今はこの不条理に燃えていますよ」  

 

口調が熱を帯びてきた。  

 

「お客さんに直接接している小売業の意識が変われば、国民の意識を変えることができるかもしれない。僕はね、これをやり終えないと死ねないな、と思っています」  

 

すっかり日が傾き農場を渡る風が肌寒くなってきた頃、牧さんは「海外にいる子たちに」と口調を改めた。  

 

「まず、日本を外から見るという経験が、とても恵まれたことだということを認識してほしい。物事をいろんな角度から見て、世の中を観察する力が習慣づけば人生がもっと楽しくなるし、偏りなく世界を見定めることができるようになるはずです。 もうひとつ、親との会話を深めてほしい。君を海外に連れてきてくれたのは、その任にふさわしい評価を受けている人です。話すと君が考えつかなかったような答えを得られるはずです。親が好きじゃない子もいるでしょう。僕も、親父とは衝突ばかりでした。でも、カイロに連れて行ってくれたことをとても感謝しているし、ものの見方・考え方など影響をたくさん受けました。子ども時代にもっと話しておけばよかったと思っています」  

一気に語った牧さんは、最後にとびきりの大きな笑顔になった。  

 

「だって、人生は一度しかないんだから。せっかくの海外生活経験、いい使い方をしないと、もったいないでしょう」

【プロフィール】
牧 紳太郎さん
1972年東京生まれ。小学校5年から中学校2年をエジプト・カイロ日本人学校に通学。高校卒業後、自動車ディーラー勤務ののちに大学進学。卒業後はいくつかの仕事を経て、環境プロジェクトにかかわりトヨタ自動車(株)入社。トヨタ白川郷自然学校の運営を受託していた(株)オークヴィレッジに転籍し、2005年の愛知万博(愛・地球博)では、EXPOエコマネーセンターの運営ディレクター。2006年から(株)電通にてエコポイント継承事業や農林水産省の広報を担当。2014年イオンアグリ創造(株)入社、本社社長室で広報を務めながら、2018年から2020年まで大学院に進学。国内農業の発展に関する研究で修士号を取得。2021年から同社兵庫三木里脇農場に勤務。

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