2024年3月5日

「中学校の吹奏楽部で芽生えたオーケストラへの想い」フルート奏者 田中玲奈さん

 

音楽の国ドイツに生まれ、音楽家の両親のもとで育った田中玲奈さん。帰国後中学の吹奏楽部でフルートを演奏し、アンサンブルが作り出す世界に魅せられた。そして日本、ドイツで研さんを積み、数々のコンクールで輝かしい成績をおさめることになる。 現在は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席フルート奏者として活躍している。

 (取材・執筆:髙田和子)

 

ドイツの美しい景色に囲まれて、音楽家の両親と共に過ごした幼少期はどんな暮らしでしたか。

 

「家の中でいつも美しい音楽が聞こえて」などというきれいなものではなかったです。ゲルゼンキルヒエンのオーケストラでコンサートマスターをしていた父は、ずっと同じ曲を何時間も続けて繰り返し練習していました。練習を始めるとピリピリしてなかなか相手にしてもらえませんでした。音楽会に行っても「客席で足を動かすな」とか駄目な事ばかり言われて。  

 

バイオリンを父に、ピアノを母に習っていましたが、怖くて楽しくなかったんです。毎日「頭が痛い」、「お腹が痛い」と。いかにして逃げるか考えていました。そのうち諦められて小学校低学年の頃にきっぱりやめました。  

 

小さいときは、外でドイツ語、家で日本語を話すというのが自然だったので、世界はそんなものだと思っていました。自分が外国人として扱われていることに気が付いたのは小学校に入ってからです。学校でアジア人は私一人でした。

 

ドイツ語も日本語も中途半端で、自分の考えていることを言葉にするのが難しく「どう言えばいいのかな」と考えているうちに「長いものに巻かれろ」という感じになっていきました。でもドイツでは自分の意思を持たないと負けますよね。だから引っ込み思案だと言われていましたが、積極的に話そうとは思っていました。AかBかと聞かれると決断は早かったし、揺るぎませんでした。

モーツァルト生誕の地、オーストリア・ザルツブルクにて

 

フルートを始めたきっかけはどんなことですか。

 

小学校6年生の時、たまたま友人のフルートを目にして「きれいな楽器だなあ。やってみないなあ」と。それで父のオーケストラのフルート奏者の方に習いました。楽しかったですね、両親と違う楽器だったのが良かったのかな。(笑)

中学校入学時に帰国して、京都に住みました。大学まで続いている受け入れ校でしたが、日本の生活の経験がないのは私だけでした。クラスメイトと同じ行動がとれず、浮いちゃったんです。そんなことで楽しいことが無くて、中学校2年生の途中で、吹奏楽部に入りました。  

 

吹奏楽部の先輩や後輩とは音楽の話ができて「音楽の世界はいいな」と、楽しかったです。「一人で演奏するのでなく、皆で演奏した時こんなに広がりのある音楽が完成するんだ」と思い、オーケストラに魅力を感じました。  

 

入学当初は「あわよくばそのまま大学まで」と思っていましたが、そんなことで音楽高校を目指す決断をしました。楽譜が読めてピアノが弾けたので助かりました。逃げまくっていた昔の貯金が生かせました。  

 

高校の3年間はめちゃくちゃ楽しかったです。1学年1クラス120人の学校で全員友達になって。競争意識はもちろんありますけど、みんなピリピリしてなくて、どんなことも受け入れてくれました。

 

その後、東京藝術大学、大学院と進み、ベルリン国立音楽大学の大学院を経て同大学国家演奏家資格クラスを獲得、と着々とキャリアを積んできたのですね。留学先にベルリンを選んだ理由はなんですか? そしてベルリンの学生たちと共に学んでどんなことを感じましたか。

 

留学先にベルリンを選んだのは、オーケストラのコンサートがたくさん聴ける所だからです。話題になっているオーケストラも旬のソリストもこぞってコンサートをしに来ます。  

 

オーケストラとオペラの公演も複数あるので、毎日どのオーケストラに行けばいいかパズルのように組んで聴きに行っていました。もちろん学生用の立ち見席も当日並んでゲットしました。そのあと友達とビールを飲みながらコンサートの感想を言い合うのも楽しかったです。  

ベルリンのオーケストラの授業風景。田中さんの憧れで、当時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者だったサイモン・ラトルとコンサートをする機会が得られた

ベルリンの学生は将来こういうことがやりたくて、そのためには今こういうことをやって、としっかり言えてみんなすごいなと思いました。積極的にオーディションも受けますし。  私は当たり前のように1日10時間くらい練習していました。それであるとき全く音が出なくなったんです。  

 

先生に言われて1分吹いて1時間休む、2分吹いて1時間休む、吹かない日を作るなどしていました。レッスンは見学してコンサートに行って。2、3カ月で戻りましたが、そこでさらに追い詰めたら戻れなかったと思います。  

 

ドイツ人は夜休む、土日に休むという具合で、見ていて「こんなに休んでいいのか」と思っていたのですが、オンとオフをはっきり切り替えているということがわかりました。みなすごく音楽を楽しんでいます。  

 

ベルリンの学生はコンサートでは、「おれがおれが」と自己中心的な性格の人が多く、とびぬけて勝手な事をする人が結構います。それぞれ独自の意見をもっていますから。でも、意見が合うと波に乗るように音楽が楽しめます。私は囲まれた中でちょっと顔を出すのが好きなんですが。小学校の時と同じですね。  

 

2年後、日本のオーケストラで演奏できる機会をたくさんいただくことができたので帰国しました。

 

現在は大阪フィルハーモニー交響楽団に所属。お子さんが生まれて育児との兼ね合いは大変だと思いますが。  

 

子どもは1年生と4歳です。育児休暇の間は1秒も吹きませんでした。でもフルートの演奏はストイックに練習した土台があるので育休明けで戻りました。悪い癖まで戻ってしまいましたが。(笑)  

 

コンサートは年間100本くらいです。子どもが生まれると前と同じように活動するのは難しいけど、子供との時間は大切にしたいと思っています。休みの日は楽器を出さずに家族と過ごします。  

大阪フィルハーモニー交響楽団 Ⓒ飯島隆

今後の活動は?

 

今はオーケストラの仕事に専念したいと思っています。完成度の高い、お客さんのハートをつかめる演奏をしたいです。年齢と共に舌や口元の筋肉が衰えると、強弱や音程のコントロールが思うようにいかなくなる可能性があります。だから、筋力を保つために音階などの基礎に特化した練習はしっかり継続するように心がけています。  

 

そしてオフの日は子どもと過ごすことを最優先にしています。  

 

子どもが大きくなったらまた仕事の幅は違ってくると思いますが、引き受けた仕事は全力を尽くしたいので「なんとなく断れなくてずるずる引き受ける」ということはありません。 

決断はしっかり、そして揺るがない。オンとオフを切り替える、それはドイツで培ったものかもしれません。

田中玲奈さん(大阪フィルハーモニー交響楽団首席フルート奏者)

1982年ドイツ生まれ。京都市立京都堀川音楽高校を経て、東京藝術大学卒業後、同大学院修士課程修了。ベルリン国立音楽大学の大学院を経て、同大学国家演奏家資格クラス(Konzertexamen)を獲得、満場一致の最優秀にて修了。 第7回びわ湖国際フルートコンクール一般部門第1位。第38回ブダペスト国際フルートコンクール現代音楽演奏賞受賞。第1回東京音楽コンクール木管部門第1位。第73回日本音楽コンクールフルート部門第1位。第6回神戸国際フルートコンクール第6位。マイスターミュージックよりCD「星のセレナーデ」「パルティータ」をリリース。兵庫芸術文化センター管弦楽団を経て現在、大阪フィルハーモニ交響楽団に所属。
旧姓の渡邊玲奈の名でリリースしたCD「星のセレナーデ」と「パルティータ」

 

すべての記事をご覧いただくには、JOES マイポータルにログインする必要があります。

JOES マイポータルへの登録は無料です。
未登録の方はこの機会にぜひご登録ください。