2024年2月13日
家族/クロスカルチャー

個性を大切に、家族3人のアメリカ暮らし【前編】

トモ、ヨウコ、ヒロの3人のアメリカ生活は、ヨウコのアメリカ赴任から始まった。それはヨウコにとって「やりたい仕事」ができる機会だった。けれども、アメリカでのワンオペ生活のヨウコ、妻子と離れて日本で暮らすトモにとって、それは忍耐の日々でもあった。 そして一年後、親子3人のアメリカ生活が始まった。(仮名)

(取材・執筆:髙田和子)

 

アメリカ生活の始まり~ヨウコのワンオペ~

ヨウコとトモは大学スキー部の先輩と後輩だった。卒業後結婚、そして2011年に長男ヒロを授かった。 アメリカに渡ったのは製薬会社に勤めるヨウコが先だった。「再生医療の細胞とかかわる仕事に携わりたい」と思っていたところ、その開発を進めるアメリカのポジションをオファーされた。この分野の開発をリードしているアメリカの現場で働くのはかねてからの希望だった。

 

「こういうチャンスがあるんだけどいいかしら」ということでヨウコとヒロのアメリカ行きが決まった。ヒロは3歳半だった。

 

ヨウコは小学校、中学校時代をアメリカ・オハイオ州で過ごしたのでアメリカ生活は馴れている。とはいえ、オハイオとは環境の違うニュージャージー、両方の実家から離れた新しい土地での生活と、大きく変わる仕事環境に、どこまで対応できるのか心配だった。

 

一方、毎日成長する育ち盛りの3歳のヒロと離れての暮しは、トモにとっても試練だった。

 

トモは仕事や休暇の機会を使って頻繁にアメリカを訪れてはいたが、滞在できる日数の上限もあり、「一緒に暮らしているとは言えない」と感じていた。 

 

「はやく家族一緒に過ごせるようになりたいと、焦る気持ちを抱えながら、精一杯頑張っていましたが、出口が見えるまで、本当に苦しい日々でした」とトモ。

 

ヨウコのワンオペ生活も忙しく、どうしても外せない出張や早朝会議が入ったりするとヨウコの母親のカズコがアメリカに来てヒロの世話をしたこともある。カズコの目にはヨウコは子育てと仕事で時間に追われ、疲れていたように見えた。その反面ヒロとの時間は癒しにもなっていたと感じたという。

 

カズコは滞在中、レンタカーで買い物をしたり、ヒロの保育園の送り迎えをしたりしたが、慣れないことをしたので、買い物に出て道に迷ったり、調理の説明書を読み間違えたりといった失敗もあった。けれども、泳ぎが苦手だったヒロが水泳のレッスンで飛び込めるようになったり、何とか先生のところまで泳いで行けたりするのを見ることができたのも、アメリカで一緒にすごせたからこその経験だった。

ニュージャージー自宅の庭にて

 

次のページ:待ちに待った3人の生活が始まる

 

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