カンポリンポの丘の上にあった「天国」
(取材・執筆:只木 良枝)
「先月、ロンドンとハノイに行って、日本人学校の生徒たちと話してきましたよ。やっぱりいいなあ、日本人学校は」
笑顔で語る池田真さんも、ブラジルのサンパウロ日本人学校の卒業生だ。
実は生まれたのもサンパウロ。5歳まで育ったが、当時の現地の記憶はほとんどない。帰国後は都内の公立小学校から公立中学校へ。40人学級が1学年11クラスという大きな学校だった。
「校内暴力とか体罰が横行していて、荒れていましたねえ。金八先生とか尾崎豊の世界ですよ」
そこに父の再度のブラジル赴任が決まり、中学1年の途中でサンパウロ日本人学校に転校した。
校歌にも歌われるカンポリンポという丘の上の広大な敷地に、校舎と広いグラウンド、大きなプールなどが点在していた。中学部1年は、2クラスあわせて50人ほどだった。
「天国かと思いました。人生の中で最高の2年間でした」
子どもたちは明るく、仲が良く、いじめもない。教師と生徒の距離が近い。保護者は教師を信頼している。高校受験のことも、国内にいるほど気にならなかった。何より印象的だったのは、生き生きしている教師の姿だった。
「子どもの目から見ても、『はずれ』の先生はいないし、教え方も上手、話も面白い。先生っていいなと思いました。中3の担任だった相庭哲男先生のお宅は長崎県ですが、今でも毎年のように遊びに行きます。お子さんやお孫さんも幼い頃から知っているので、まるで親戚のようです」
サンパウロという街の雰囲気も好きだった。中学時代の記憶は鮮明だ。今でも自転車に乗って、街を自由自在に走れますよ、と語る池田さんの口調から、懐かしさがにじみ出る。
「そういえば、7,8歳の子どもが日本人学校に忍び込んで、サッカーボールを盗んだのを見つけたことがあって。校庭を裸足でドリブルしながら逃げていくんだけど、これが速い! こちらは中学生でただ走っているだけなのに、全然追いつけなくて。こりゃあ、日本はワールドカップで一生勝てないなと思いましたねえ」